3.疑心暗鬼の行く末は
「とりあえず、最上が思っているような状況じゃなかったよ」
持つべきものはやっぱり横の繋がり。白布くんは昨日突発的に伝えた私の相談に対して、早くも“答え”を確認してくれたみたいだった。ほっと胸をなで下ろした矢先、白布くんが目線を逸らしていることと彼の額に滲む冷や汗に気が付いた。白布くんは感心してしまう程に空気が読めるひとだ。彼のセッターという立場がそうさせているのかもしれない。となると白布くんが私に気を遣ってそんなことを言っている可能性だって十分考えられる。私は恐らく今まで白布くんに嘘をつかれたことは無いけれども、白布くんのこんな表情を見たことだって無い。だから気を緩めずに、せめてこれ以上のボロは出さないように今後気を付けようと思った。
「………。」
「………!」
そして今日も今日とて練習終了後に用具庫でスコアと物品の整理をしつつ居残り練習組を待っていた。ふと鋭い視線を感じて恐る恐る振り返ると、案の定牛島さんが立っていた。なんだかその表情はいつにも増して鬼気迫っている。物凄い迫力だ。もしかして連日牛島さんから直々にさっさと帰れと指示を受けていたにも関わらず、いけしゃあしゃあと居残りをしていたことがまた彼の逆鱗に触れてしまったのだろうか。よかれと思ってしていたことが、決意した矢先に早速“ボロ”へと繋がってしまったのだろうか。びくびくとしていると、牛島さんがゆっくりと口を開いた。
「今日は家まで送る。待っていろ」
地を這うような威圧感満載の声でそんなことを言われた。もしかしてついに直接戦力外通告を頂戴してしまうのだろうか。心臓がうるさいし、全身の血の気が引いていくのをひしひしと感じた。
「…はい」
私はその視線から目を逸らすこともできず、かすれ声で返事をするのが精一杯だった。
そして牛島さんは無言で頷くとすぐに踵を返して用具庫を出て行った。一気に身体の力が抜けて、私は床にへたり込んでしまったのだった。
―――――
「お疲れ様でした。明日、よろしくお願いします。」
校門で大平さん、天童さん、白布くんにそう挨拶をした。金曜日である明日は明後日からの県外遠征に備えて、練習は無しで夕方からバス移動。2泊3日のちょっとした合宿のようなものだ。もしかしたら私は、この後牛島さんから戦力外通告を受けて参加できないかもしれないけれども。今日1日、終始気まずそうに視線を合わせてくれなかった白布くんがなんだか深刻そうな表情を浮かべていたことが、とにかく私の不安を煽った。
「帰るぞ」
「はい」
そして改めて3人にお辞儀をして、既に歩き始めていた牛島さんの背中を小走りで追い掛けたのだった。
「…暗いな。」
「え」
無言で歩き始めると、ふと牛島さんがそんなことを呟いた。夜ですからね、という無神経な返事を反射的にしてしまいそうになりはっとして口を噤んだ。もしかしなくても牛島さん、これ遠回りになるんじゃないだろうか。ただでさえ疲れているであろう練習後に、理由はどうであれ私なんかのためにあの牛島さんを遠回りさせてしまっているのだ。そんな事実に一気に血の気が引いて目眩がした。
「…どうした?」
「あ」
思わずよろけると、二の腕のあたりをがしっと掴まれたのだった。当然ながら他でも無い牛島さんに。すぐに謝ると、牛島さんの右手は私の左手首に移動した。
「気を付けろ」
「…すみません」
そしてそのまま、牛島さんは歩き始めた。牛島さんに掴まれている左手首が異常なほどに熱い。せめてもの救いは辺りが暗いこと。私はこんな状況に最早半ベソ状態だった。人前で泣くのなんていつ以来だろうか。そして牛島さんはと言うと、終始無言だ。そしてまた私は至極恐れ多いことに気が付いた。私は今、牛島さんに手首を掴まれていること以外は至って普通に歩いている。歩行速度的な意味で。脚の長さが全く違う牛島さんと同じ速度で歩けているのだから、牛島さんが私に合わせてくれているのだろう。せめて全力疾走することになったほうがまだ気も紛れたかもしれない。牛島さんに気を遣ってもらっている(?)というまさかの状況が、更に私を追い詰めて行った。
「家は近いのか?」
「…はい。ここから歩いて15分くらいです」
「そうか」
まともに交わした会話と言えばこのくらい。正直生殺しだった。牛島さんが理由も無く私と一緒に帰るなんて状況、あるはずが無い。だから何らかの目的があった上でのことなのだと思う。しかし一向に牛島さんからは確信に触れられることは無かった。恐る恐るその顔を見上げると、相変わらずキリッとした鉄仮面が街灯にただただ照らされていた。
―――――
「…牛島さん」
「なんだ」
そんな状況に何も進展の無いまま、もう家まで数分とかからないところまで来てしまった。仮に家の前まで着いてから話を切り出されるにしても牛島さんを遅い時間まで拘束してしまうようで申し訳ないし、このまま何も無かったら無かったできっと私は今夜気になって眠れない。だからいっそ私から切り出そうと思ったのだ。私にしては、随分思い切った決断だと思う。まぁ牛島さんの頭にスパイクを決めてしまった一件が、皮肉にも“あれ以上の失礼は無いだろう”という精神的予防線になっていることが大きいのだろうけれど。でも私は肝心なことを忘れていた。どう切り出すか全く考えていなかったのだ。頭が真っ白になって何も言葉を発せずにいると、牛島さんは歩みを止めた。見上げた先には、訝(いぶか)しげな表情をして私を見下ろす牛島さんが街灯に照らされていた。
「私」
「?」
「バレー部、やめたくないです」
緊張で息が上がっていた。心臓も一際大きく鳴っている。こんな状況でつらつらと言葉を発することができるほど私は器用な人間じゃない。だから一番伝えたいことだけを伝えた。牛島さんから返ってくる言葉が怖くて俯いていると、頭上からはっと息を吸い込む音が聞こえた。
「最上、部活辞めるのか?」
そして続いてそんな言葉が降ってきた。予想だにしていなかった牛島さんの返事に驚いてまた顔を上げると、牛島さんはかっと目を見開いて口を半開きにしていた。
「?」
“驚愕”。牛島さんの今の表情を形容しようとするなら、そんな表現が相応しいだろう。私が言うのもなんだけれども牛島さんのそんな“人間らしい”表情を見たのはこれが初めてだった。そして私自身も、牛島さんと全く同じ表情をしていたと思う。
「何故だ」
ずっと掴まれていた左手首が解放されたかと思うと、その直後に両肩にがしっと圧がかかった。私はどういうわけか牛島さんに両肩を掴まれて尋問を受けている。状況が全く理解できなかった。
「私は、辞めたくないです」
「それなら何故そんなことを言う」
「や、辞めろって言われるかと思いまして」
「誰にだ。最上のご両親にか?」
「えっ」
「ご両親なら俺も全力で説得する」
「あの」
「なんならこの後すぐにでもいい」
「牛島さん」
いまいち話が噛み合わない。そして両肩にかかる圧が次第に増していく。本当になんなのだろう、この状況。
「お前に辞められるのは俺が困る。俺ができることならなんでもする」
あ、あれ
「俺が主将でいるうちは、仮に最上自身が嫌だと言おうがお前を辞めさせる気はない」
…………。
「…牛島さん」
「なんだ」
「すみません、私の勘違いでした」
「……は?」
「これからも、どうかよろしくお願いします」
「?」
いやしかしそうなってくると、ここ最近の牛島さんの言動に説明が付かなくなってきてしまうのだけれども。とりあえず戦力外通告どころか牛島さんから直々にそんな有り難い言葉をもらえたことがなんだか物凄く嬉しくて、安心と相まってどういうわけか涙が浮かんできたのだった。
牛島さんは、終始眉間に皺を寄せて“困惑”の表情を浮かべていた。…あ、“人間らしい表情”2つ目。私は意図せずそんな呑気なことをふと感じてしまったのだった。
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