4.有備無患の罪悪感


「さくらちゃん!ここ“出る”らしいから気を付けてねん♪」

「え」

「やめろ天童。世の中には知らないほうが幸せなことだってある」

「え」


放課後。バスに揺られて約5時間。夜10時頃に今回の宿泊先のホテルに着くや否や、天童さんと大平さんにそんなことを言われた。昨夜の一件で、また堂々とマネージャーの仕事ができると改めてやる気が漲っていた矢先の、まさに晴天の霹靂。私は恥ずかしながらその手の話が大の苦手だった。あまりにも自分のキャラに似合わなかったからひた隠しにしていたけれども、前回の春合宿のときにひょんなことから天童さんに気付かれてしまった。せめて天童さんの発言だけだったらただ単にからかわれているだけなのだろうと流すこともできただろうけれども、深刻そうな顔をした大平さんのフォローに一層その信憑性を高められてしまった。
そして当然ながらバレー部で唯一の女性である私は今夜一人部屋。恐る恐る部屋へと向かうとあてがわれたのはさすが白鳥沢と言うべきか、無駄にツインルームで普通のビジネスホテルよりも綺麗な部屋だった。しかしそんなこと気休めにもならなかった。とりあえず隣りの部屋から天童さんやら五色くんやらのはしゃぐ声?が聞こえているうちにと、急いでシャワーを浴びた。


「…ふぅ」


髪を乾かし終えてようやく一呼吸吐くと、一気に眠気に襲われた。さすがに約5時間の移動は疲れた。人間の睡眠欲って素晴らしい。すっかりそれが恐怖心に打ち勝ち始めた矢先、何かが聞こえてきた。小さい女の子の、笑い声。家族旅行か何かだろうか。きっと楽しくて仕方が無いのだろうなぁ。そこまで考えて違和感に気付いた。気付いてしまった。この階は今日明日と白鳥沢バレー部で埋まっている。つまるところ少なくとも両隣はチームメイト。白鳥沢の“男子”バレー部。だからこんな鮮明な“女の子”の笑い声なんて、普通は聞こえてくるわけが無いのだ。


「………!!」


私は掛け布団をはねのけ、急いで部屋を出た。そしてすぐに携帯で白布くんへ電話をかける。繋がらなかった。時間も時間だし、もう寝ているのだろうか。先ほどまで怒られるのではないかというくらいに響いていた天童さんや五色くんの声はもう聞こえてこないし。涙が滲んで思わず床にへたり込んだ。打つ手、なし。
とりあえずすっかり消えてしまった眠気が戻ってくるまで、1Fのフロント前のソファで休んでいようか。フロントには確実にホテルの人がいるだろうし。


「何をしている」

「!?」


膝を抱えながらそんなことを考えていると、頭上から低い声が降ってきた。驚いてその先を見上げると、涙で滲む視界に我らが主将が立っていた。


「どうした…?」


ぼやけていてよく見えないけれども、牛島さんは驚いているようだった。それにしてもこういうときの牛島さんという存在の安心感ったら無い。多分相手がお化けだろうがなんだろうが、絶対牛島さんのほうが強いのだから。そんな根拠はあやふやな確信によって安心感が涙と一緒にどっと溢れた。


「なんでもないです」

「いや、なんでもない奴が膝を抱えて泣いたりはしないだろう」


なんということだ。私はあの牛島さんにあろうことかツッコミを受けてしまった。恐らく牛島さんのツッコミ程貴重なものってないと思う。それはそうと高校生にもなって人前で泣くとか恥ずかしすぎる。でもそれどころじゃない。私は本当にこの手の状況が苦手なのだ。


「私の部屋に、幽霊が出ました」

「それは勘違いだ」


牛島さんお得意の有無を言わさぬ物言いに、安心感を抱いたのはこれが初めてだった。でも違う。勘違いなんかじゃない。だって私ははっきりと聞いたのだ。背中にぞくりと走る悪寒を誤魔化すようにまた膝を抱えた。すると頭の上にぽんと大きな手が乗せられたのだった。


「明日も早い。早く寝ろ」


心無しか優しい声。無骨なその言葉にどこか安心してしまった。牛島さんは嘘は吐かない。牛島さんの言っていることは基本的にいつも正しい。だから牛島さんが勘違いだと言えば勘違いで間違い無いのだろう。なんだかまるで牛島さんの手に恐怖心が吸い取られていくようだった。あ、やばい。安心感がピークに達したところで、私は一気に襲って来た眠気に耐えきれずそのまま意識を手放した。


―――――


「ありゃ、さくらちゃん寝ちゃった?」


一部始終はドアの隙間から見ていた。ニヤニヤが止まらなかった。丁度主将である若利くんが見回りにくるようなタイミングで女の子の笑い声を発するスマホをさくらちゃんの部屋側の壁に当ててみた。獅音もやめろと言いながらニヤニヤしていた。俺の推測通り部屋から飛び出したさくらちゃんは若利くんと鉢合わせしたわけだけれど、廊下に座り込んで眠り始めたさくらちゃんを見てなんだか今更可哀想に思えてきた。


「天童」

「な、なに?若利くん」


流石に悪戯が過ぎたか。相手が相手なだけに若利くんから怒られるかもしれない。若利くんが本気で怒ったら多分さすがの俺でも泣く。
しかしそんな俺の推測とは裏腹に、なんだか若利くんは心無しかそわそわとしていた。


「最上の泣き顔を、見た」


その状況の元凶である俺が言うのもなんだけど、うん、何言ってるのこの子。どこか満足げだし。


「…かわいかった?」


半ば呆れながらそんなことを聞いてみると若利くんは静かに頷いた。


「しかし最上を泣かせる奴は許せん。天童、幽霊はどうやって倒せばいいんだ」


若利くんはごきりと指の付け根を鳴らした。


「若利くん、幽霊とか信じるタイプ?」

「信じてはいないが最上は嘘を吐かないからな」


というか若利くん。キミもしかしなくても素手で幽霊倒す気?若利くんなら実際倒せそうだしそもそも幽霊が逃げて行くと思うんだけれども。あ、これだ。


「多分幽霊よりも若利くんのほうが強いから、若利くんがいれば幽霊逃げてくと思うよ」

「そうか」

「だから今日はさくらちゃんに添い寝してあげたら?」

「添い寝?」

「どの道さくらちゃんそこで寝かしとくわけにいかないでしょ」

「そうか」


単細胞万歳。若利くんはさくらちゃんの手からカードキーを奪うとさくらちゃんの部屋のドアを開けた。そしてさくらちゃんを肩に担いで部屋へと入って行った。そこはお姫さま抱っことかじゃないあたりがなんとも若利くんらしい。がちゃっ、と鍵がかかる音がした。


「天童」

「あれ獅音起きてたの?」

「お前の今回の提案は素晴らしいと思う」

「ありがと」

「だがしかし」


獅音は額に冷や汗を浮かべながら深刻そうな顔をしていた。


「若利、今晩耐えられるだろうか」

「へ?いやいや若利くんに限ってそんな」

「若利が俺らの常識の及ぶ次元に生きていると思うか?」

「………。」

「どうする。若利が順番を間違えたら」

「…わ、若利くんタンマ!ちょっ、タンマ!!」


俺はさくらちゃんの部屋のドアを一心不乱に叩いた。するとすぐにドアは開いた。


「天童」

「若利くん!お願い早まらないで!!地道にコツコツいこ?ね?」

「最上の寝顔を、見た」


焦る俺とは対照的に若利くんは淡々と、またどこか満足げにそんなどうでもいいことを報告してきたのだった。


「………。かわいかった?」


そしてそんなことを聞いてみるとまた若利くんは静かに頷いた。


「しばし眺めてから寝る」

「あ、そう。おやすみ」

「ああ」


そうしてドアはまたぱたんと閉じられた。


「………。」

「………。」


獅音と顔を見合わせると、なんだかとてつもない罪悪感に苛まれた。これはこういうことになると純粋も純粋な、まるで幼稚園児レベルの若利くんを一瞬でも疑ってしまったことに対してのそれだ。恐らく獅音も同じ心境だったに違いない。せめて若利くんが幸せな一時を過ごしてくれることを祈りつつ、俺たちもそろそろ眠ることにしたのだった。


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