31.緊急事態に身を投ず
そして迎えたインターハイ予選。なんというか、“さすが”の一言に尽きる結果だった。
白鳥沢学園高校バレー部は、実に淡々とインターハイ行きの切符を手にしたのだ。牛島さんはもちろんのこと、今回高校公式戦 初の出場を果たした五色くんでさえも、所謂“王者の風格”と呼ばれるであろう雰囲気を既に醸し出していた。マネージャーも2年目にして、未だに公式戦を迎えると自分のいるチームの強さを改めてまざまざと見せ付けられる。それと同時に、毎回チームメイトが少し遠い存在に感じられてしまうのだ。牛島さんなんて、尚更。
「…………。」
インターハイ出場を決め、各々少なからずの喜びや安心感を露わにしてもいいような状況の中、チーム内には依然として緊張感が漂っていた。ともすればもう、既に彼らの意識は全国大会へと向いているのかもしれない。
宮城では絶対王者と呼ばれる白鳥沢でも、舞台が全国となれば当然ながら格上の学校だって存在しているわけで。うちのエースはそんな学校のエースたちをも差し置いて、世界ユースという立場に君臨している。そんな彼を擁するうちのチームの選手たちも、やはり人並に緊張したり武者震いしたり、ということがあったりもするのだろうか。非常に不謹慎かもしれないけれども、もしそうであれば少し嬉しいなぁなんて、思ってしまう自分もいた。牛島さんであれば尚のこと。
しがないマネージャーでしかない私が、このチームに対してそういった面で親近感なんてものを求めようとすること自体、ともすれば恐れ多すぎることなのかもしれないけれども。
「…じゃあ今日はこれで解散ね。明日明後日は2日間練習休み。この機会にしっかりと身体を休ませるように」
学校に戻り、ミーティングが終わった後。大平さんが笑顔でそんな指示を出す。
そこでようやく、チーム内の緊張感が少し緩んだような気がしたのだった。
「……………。」
しかして牛島さんだけは、それまでと一切変わらない表情でどこか遠くを見つめていたのだった。
なんだかかえって身の引き締まるような思いがした。
―――――――
翌日。
大会を終えすっかりぐちゃぐちゃになってしまった備品の整理のために、体育館へと赴いた。
この男子バレー部専用の体育館が、これだけ閑散としているのも珍しい。まぁ大平さんにもしっかり休むように釘を刺された手前、今日は普通の神経や体力を持つ部員であれば言われた通りに休んでいるのだろう。
「…うわぁ、」
用具庫の中へと入ると、そこはすっかりと荒れ果てていた。
比較的多くの部員を擁するこのチームは、それと比例するかのようにそもそもの備品の数も多い。そして昨日、試合終了後で取り急ぎ部員によって詰め込まれたであろうそれらは、どこに何があるのかすら、はっきりとは分からない状況になっていた。
思わず情けない声も発してしまったけれども、こういうことだって立派なマネージャーの仕事だ。明後日からの練習開始の際に、部員にいきなりここの掃除なんてさせられない。
2時間…いや、3時間くらいはみておこう。幸いにしてまだ時刻は16:00。そのくらい時間をかけたところで普段よりもずっと帰宅時間は早い。
「…まず全部、出すか」
まずはこの用具庫内の物品を全て一旦体育館へと出し、用具庫内を雑巾がけして物品を所定の場所に戻す。
ビブスや部の備品であるタオル、スクイズボトルなんかは早急に洗ったほうがいいだろうし、ボールだって磨いておいたほうがいいだろう。
粉ポカリやらテーピング用テープ、コールドスプレーなんかは明日の買い出しに備えて残量も確認しておかないと。あとスコア、今日のうちにコピー取っておこう。
ぱっと思い浮かぶだけでもやることはごまんとあるわけだけれども、こういう作業を一人でやることは、なかなかどうして嫌いじゃない。
「……よし、完了」
全てが終わる頃には、すっかり日も暮れていた。時刻は19:30。思ったよりも時間はかかってしまった。それでも、すっかりと理路整然という言葉を取り戻してくれた用具庫内を見渡すと、なんだか変な達成感もある。
これで明日買い出しをすれば、明後日から部員は少なくともいつも通りの状況から練習を開始できるだろう。
「あー、つかれた」
慣れない肉体労働。軋む肩を回しながら私は踵を返した。
「……お前、一人でここを掃除していたのか?」
「ヒッ!?」
すると振り向いた先には、なんと我らが主将がきょとんとした顔で佇んでいた。ジャージ姿で、髪は濡れている。
私の予想でしかないけれども、きっと彼は今日、一人ロードワークにでも勤しんでいたのだろう。そして部室棟でシャワーを浴びた後に、バレー部専用の体育館に電気が点いていることを不審に思い、今に至る…というところだろうか。
なんというかもう、この人の底知れぬ体力には頭が上がらなかった。
「…お疲れ様です、牛島さん」
思わず苦笑いを浮かべながらそんなことを言ってみると、牛島さんは一瞬目を見開いたのだった。
「…最上」
「はい」
「不意に笑顔を浮かべるのはやめてくれないか。心臓に悪い」
「…へ」
すると牛島さんは、あくまで無表情のままそんなことを言ってきたのだった。
不意に笑顔を浮かべるな、ということは…笑う前はなんらかの形で宣言をするべきなのだろうか。いやそれはちょっと、さすがに間抜けすぎやしないだろうか。
「はい、気を付けます…」
取り急ぎそんな返事をしてみたものの、これまた自分が滑稽すぎて気を緩めると吹き出してしまいそうだった。何か一仕事終えた後の、この笑いのツボの浅くなる謎テンション、不思議だ。
「…最上」
「……っ、はい」
どうしよう。あまりにもキャラじゃないのは分かっているけれども、私はどういうわけか今、笑い転げたい衝動に駆られている。よりによっての牛島さんを前にしてなんて失礼な心持ちなのだろう。
手で顔を仰ぎながら、必死で平静を保った。
「俺は、」
「……?」
「俺は、お前を嫁にしたい」
「は」
突如、そんな呑気で愉快な心境は一瞬で消え去っていったのだった。
頭の中が真っ白になる感覚。牛島さんの発言の意図を即座に理解することは、私には到底できなかった。
嫁って、つまりはワイフってことだろうか。あ、もしかしてアレだろうか。今回の掃除について、牛島さんは褒めてくれているのだろうか。それこそ“嫁にしたい”とまで言ってくれる程に、今の用具庫内は牛島さんのお眼鏡にかなう状況となったということなのだろうか。それなら、話は繋がるし理解もできる。
「…ありがとうございます…」
素直に嬉しかったから、お礼の言葉を伝えた。別に見返りを求めてやったことではないにしても、なんだか努力が報われたようで嬉しかったのだ。
すると牛島さんは、一瞬驚いた顔をしたのだった。え、なんですか、その表情、
「…良かった。」
「へ」
「これで、全て責任が取れる」
「せきに…っ…?」
おかしい。今まで明瞭に牛島さんの顔が見えていたはずの視界が、一瞬で一気に形を変えた。
その変わり、唇には少し柔らかな感触が触れている。少し遅れて、両腕の自由が効かないことにも気が付いた。手首を、掴まれている。
「…は」
我に返った頃には、視界には再びはっきりと牛島さんの顔が映っていた。頬のてっぺんのあたりが、若干赤い。
そんなことより私は今、牛島さんに何をされた?そして更に言うと、今唇に当たった感触と牛島さんのこの表情、どういうわけかデジャヴしていないだろうか。
状況を徐々に理解していくと共に、どういうわけかさぁっと血の気が引いていったのだった。
そして私の両手首は、牛島さんに相変わらずがっしりと掴まれたままだ。
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