5.乳母日傘は鬼気迫り


朝が来た気がして目を開けた。案の定朝だった。時計を確認すると5:30。昨晩はいろいろあったにも関わらずなんだかんだでゆっくりと眠れたし怖い夢なんかも見なかった。牛島さんに会ったら早速お礼を伝えなければ。


「最上も5:30に自然と目が覚める身体なんだな」

「えっ」


聞き覚えのある声が、背後から聞こえてきた。いやいや聞こえてくるはずが無い。だってそんな、私の後ろには今誰も使っていないもう一つのベッドがあるだけで。


「?」

「え、へっ?」


しかしそこには人がいた。頭に寝癖をつくった我らが主将が今まさに上体を起こしたところだった。それはそうとうちの部が泊まるホテルは無駄に豪華、というか無駄に部屋のベッドが大きい。それに乗る牛島さんの姿を見てようやくその理由に合点がいった。そうだ普通のビジネスホテルのベッドのサイズだとこの人たち脚はみ出るんだそうかそうか。そんなこと言っている場合じゃない。


「うし、じまさん」

「なんだ」


いろいろと聞きたいことがあった。しかしあまりにも今の状況はカオスすぎて何から解決したらいいのか起き抜けの働ききらない頭では的確な判断ができない。牛島さんはぼおっとしたような顔で首を傾げていた。牛島さんでも寝起きはこんな顔をするんだとまた親近感を覚えた。覚えている場合じゃない。


「…お、おはようございます」

「ああ、おはよう」

「昨日はありがとうございました」

「ああ、幽霊は逃げたみたいだな」

「……!」


牛島さんは真顔でそう言った。多分牛島さんに限って冗談や皮肉とかではないと思う。しかし一気に羞恥心に苛まれた。そうだ私昨日牛島さんの前でお化けが怖いと号泣したんだ。うわ、死にたい。顔に熱が一気に集まった。


「………。」


牛島さんの呆れたような視線が痛い。これ睨まれるよりも堪える。なんで私の部屋で牛島さんが寝てるんですかという目下の疑問は最早どうでもよくなってしまった。
でもたしかに私は聞いたんだ。聞こえてくるはずのない女の子の笑い声を。実際に“出た”んだ。それなのに私が安らかに眠ることができたのはやっぱり牛島さんのおかげなのだろうか。金縛りにも遭わなかったし。本当に幽霊は牛島さんを恐れて逃げて行ったみたいだ。歩く魔除け。存在感だけで幽霊退治。我らが主将はただひたすらにチートだ。


「…また何かあったら俺に言え」

「牛島さん、ありがとうございます…」


両頬を抑えながら俯いていると、頭に軽く牛島さんの大きな手が乗った。そして牛島さんは無言で私の部屋を出て行ったのだった。なんというか、うちの主将本当にかっこいい。なんだかヒーローというよりかはラスボス的な安心感がある。本当に、味方で良かった。そして私はこの前そのラスボスの頭をひっぱたいたのだ。また改めて全身の血の気が引いた。


―――――


「うわ、ウシワカだ」

「本物迫力すげぇ…」


そんなこんなで、今回の遠征の本題である練習試合の会場となる体育館に到着した。県外遠征に来る度にとにかく牛島さんの有名人っぷりに驚かされる。たしかに近県の強豪校ばかりが集まっている中でも、贔屓目無しに牛島さんのオーラは違うと漠然と感じた。さすがはラスボス。
とは言えそんなことをぼおっと考えている暇なんてない。練習試合となると自分の学校のこと以外の仕事だって多い。今日は6校が集まっていて、うち2校にはマネージャーはいない。そういうところのカバーも暗黙の了解の下行う。それもマナーだと昔先輩から聞いていた。


「白鳥沢マネちゃん、彼氏いんの?」


ひと試合終えた他校の選手にドリンクを配っていると、なかなか軽そうな人からそう声を掛けられた。


「えー!じゃあ俺立候…」


直後、私のすぐ横を大きな弾丸のようなものが掠めた。それはその軽めの人が背をもたれる体育館の壁の、その人の頭上すぐの位置に派手な音を立てて激突した。


「最上。すまない、手元が狂った」

「牛島さん」

「次は当てる。確実に仕留める」

「な、何をですか」


体育館じゅうの空気が一気に凍り付いた気がする。きっとそれは気のせいなんかじゃない。なんだか知らないけれども牛島さんがいきなり激おこだ。どうしたのだろうか。練習試合は相変わらずの白星まみれだし、牛島さんをそんな状況にさせる理由がまるで見当たらない。比較的他校生よりもずっと牛島さんを見慣れたはずの私ですら冷や汗が滲むほどの剣幕。他校生から見たらどれほどの迫力なのだろうか。とか言っているうちに牛島さんはボールを構えた。見慣れた牛島さんのサーブに入る前のモーションだ。えっと、何をしているのでしょうか牛島さん。


「最上!」


そこで白布くんの声が聞こえてきて我に返った。白布くんはどういうわけか隣りにいた五色くんの腰に抱き付く素振りをしてみせた。白布くんが言いたいことが、なんとなく分かった。分かってしまった。


「ストップです牛島さん!」


私は無我夢中で牛島さんのお腹に向かってタックルを決めた。さすが体幹の鍛え方が違う。びくともしてくれなかった。そして私がぶつかったのは本当に人間の身体なのだろうか。私が想像していたよりもずっと硬かった。まともにその胸板にぶつかった鼻の奥から鉄のにおいがした。


「牛島さん、練習以外でボールを人がいる方向に向けて打ったらだめだと思います」


私はその体勢のまま牛島さんをゼロ距離で見上げて言った。牛島さんはカッと目を見開いていた。こわっ
頭ひっぱたいたりとか、タックルかましたりとかもういよいよ牛島さんブチ切れるんじゃないだろうか。そうびくびくとしていたら頭上から微かな声で「ああ、すまない」と聞こえてきた。心無しか若干その声は震えていたように思った。声が震えるほどに怒っていたのだろうか。


「…こちらこそ、すみませんでした」


牛島さんの身体から離れると、牛島さんはすぐに私に背中を向けたのだった。


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