6.落花流水言うなれば
「天童」
「なぁに、若利くん」
「信じられないことが起こった」
「へぇ」
「最上に抱きつかれた」
「おめでと」
いや、俺も一部始終は見ていたけれど。さっきのさくらちゃんのあれは抱き付いたというよりかは若利くんを制止するためのタックルに近いものだと俺は感じた。でもそんなこと若利くんには言えなかった。言ったところで聞きやしないだろうし。まぁでも事実だけ言えばたしかにさくらちゃんは若利くんの腰に抱き付いていた。否、しがみついていた。
「そして今朝、最上が照れた顔を見た」
「すごいね若利くん。今日大安だネ」
そんなことを言ってみると若利くんはあくまでいつも通りの無表情のまま頷いた。それにしても今更ながらこの子はなんでいちいち俺に報告をしてくるのだろうか。なんだか獲物を仕留めてこれ見よがしに飼い主の目の前に置いていくネコの姿が頭を過ぎった。そう言えば獅子もネコ科だ。なるほどそういうことか。どういうことだろう。
「ただどうして最上は他校のよりにもよってあんな奴らを手伝うんだ」
「それがお仕事だからネ」
「そうか。それならこの2日間は最上を休ませる」
真顔で何言ってるのこの子。
「さくらちゃん、なんのために5時間もバスに揺られてここまで来たのさ」
「最上は白鳥沢にとってはそこに存在しているだけでいいだろう」
厄介なことに若利くんの目は本気だ。
「それ“若利くんにとっては”でしょ。俺らはマネージャーいないと困るんだケド」
「最上に言ってくる」
そう言うと若利くんは早速踵を返したものだから、俺はとっさに背後からその肩を掴んで制止した。
「若利くん。そもそももうそんなコトしなくても大丈夫だと思うよー」
「?どういうことだ」
「むしろこの状況でさくらちゃんにちょっかいを出せる猛者がいたら見てみたい、カナ」
「猛者?」
若利くんは首を傾げていた。きっと先程の件で“白鳥沢のマネージャーのバックにはウシワカがいる”ということがしっかりと他校生にも認知されたであろう事実を、若利くん自身は全く気付いていないみたいだ。
―――――
「牛島さん、今日はいろいろとすみませんでした」
練習が終わってご飯を食べて。戻ったホテルのロビーで監督、コーチ、牛島さん、大平さん、私の5人で簡単な明日の打ち合わせをしていた。終わったそばからまた牛島さんから貫かれるような視線を感じた。だからこれを好機だと捉えて私は牛島さんに今日の、正確には昨夜からの非礼を改めて詫びた。
「?」
牛島さんは首を傾げていた。まるで私がなんで謝っているのか分からない、とでも言うように。
そこで私の脳裏にはある仮定が浮かんでいた。それは牛島さんって実はめちゃくちゃ優しいのではないか、というものだった。だって急に頭ひっぱたかれたりとかタックルされたりとか、普通は怒るような行為を牛島さんはさらっと流してくれたのだ。しかも牛島さんは少なくとも普通の人ではない。なんと言っても牛島さんだ。世界ユースだ。高校バレー界の最高峰に君臨するお方だ。そんな住む世界の違うひとに対して前述のような失礼を働いたのは、他でも無く高校バレー界にようやく片足の爪先くらいはつっこめたかなというくらいのしがないマネージャーでしかない私だ。例えるならそう、私は牛島さんにとったら小さな猫みたいな存在だ。獅子である牛島さんはまとわりついてちょっかいを出す小さな猫に対して仕留めるどころか愛護的に解放してくれたのだ。しかもあろうことか昨夜の一件。
いやもしかしたら、私の一連の行動自体がそれこそ牛島さんにとっては取るに足らないことだったのかもしれない。だとするとやっぱりその器の大きさは計り知れない。すごい。うちの主将本当にすごい。なんだか後光が見えたような気がした。
「そうだ最上」
ぽかんと牛島さんの顔を見上げていると、大平さんから声を掛けられた。我に帰って大平さんを見ると、彼は菩薩のような微笑みを浮かべてきた。
「昨日の夜、お前の部屋から笑い声が聞こえてきたんだが、お前何か楽しいことでもあったのか?」
背中に悪寒が走った。一気に昨夜の恐怖体験が蘇る。そして私は“女の子の笑い声が聞こえた”なんてことは誰にも一切報告していない。牛島さんにも“幽霊が出た”としか言っていない。ということはつまりだ。たしかに出たんだ。
そして大平さんも大平さんでなんでこんなタイミングでそんなことを言うのだろう。エレベーターに向かって歩き出した牛島さんと大平さんの背中を見ながら途方に暮れた。
「じゃあ、おやすみ」
宿泊階に着くと大平さんはすぐさま私の部屋の隣りである自室に入って行った。廊下には私と牛島さんの2人だけ。
「どうした最上」
「え」
「顔色が悪い」
牛島さんは私を見下ろしながらまた淡々とした口調でそう言った。さすがに昨日の今日で牛島さんに泣きつくわけにもいかない。しかも目に見えては分からないけれど牛島さんは疲れているはず。
私は「そんなことないです」と力無く言うことしかできなかった。
「そうか、それならいい」
牛島さんはそう言うと自室へと向かって行ったのだった。なんだか途端に心細さを感じつつも私は部屋の鍵を開けた。
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