9.苦口婆心の効果の程


「さくらちゃん。若利くんと一緒に寝たって本当?」

「…本当に申し訳ない限りです」


練習試合終了後。頃合を見計らってストレートに確認をしてみると、さくらちゃんは右斜め下を向いて暗いトーンでそう呟いた。そしてやっぱりこの子も相変わらずの無表情だ。もしも仮に若利くんとこの子の間に子どもができたら絶対表情筋の乏しい子になる気がする。ちなみにこの話を以前若利くんにしていたら目を見開いて30分くらい全く動かなくなってしまった。若利くんにとっては思考停止レベルの話だったらしい。その程度の喩え話でそれって若利くんキミ本当になんなの?まぁどちらにしたって先は長い。


「…でもせめてもっとさくらちゃんに恥じらいがあればニヤニヤできたのになァ…」

「?」


とりあえず今夜赤飯を炊く必要は十中八九無くなってしまったと確信した。だってさくらちゃんは頬を染めるでもなく焦るでもなく、ただひたすらに無表情且つ申し訳無さそうだった。少なくとも“そういう意味”で少しでも後ろめたいことがあったようには、到底見えなかった。
いや、たしかに獅音も言っていたように“順番を間違える”なんてことはこの二人に限ってあってほしくないという前提はある。でも、仮にも年頃の男女が同じ布団に入っていたにも関わらずほんの少したりともニヤニヤ案件が生じなかったというのは、それはそれで切ない気がするのだけれども。


「いや、ただのプロデューサーとしての意見だから気にしないで」

「プロデューサー?」


まぁそれにしたって若利くんも若利くんだけどこの子もこの子だ。
恐らくさくらちゃんから見たら至極分かり辛いであろう若利くんの態度から彼の意図を察してくれだなんて、エスパー的なところは全く望んでいない。だけれどもなんというか、せめてもう少しなんとかならないものだろうか。


「で、なんでそんな状況になったの?」

「寒くて起きて、寝ぼけて牛島さんのお布団に入ったら暖かかったので」

「さくらちゃん、いつも寝ぼけてたらいいのに」

「え?」


さくらちゃんには、どういうわけか常に“無難”であろうとするきらいがある。例の脳天スパイク事件やこの合宿中の幽霊騒動やタックル事件が奇跡と呼べるくらいに、普段はとにかくソツが無い。どちらかと言うと良い意味でひたすら“目立たない”のだ。若利くんが若利くんなりにあれでも一応必死でさくらちゃんに近付こうとしているのに、さくらちゃんはいつもなんだかんだでかわしてしまう。かわすというか、若利くんの意図を知らないのだから戸惑っているだけなんだろうけれど。
若利くんとさくらちゃん、それぞれの立場とキャラクターを考えたらそれもまた当然なのが、これまた厄介なところだ。


「あと、若利くんは本当に細かいこと全く気にしないタイプだからー。今回のことは気に病む必要無いよ」

「でも」

「むしろ後輩に構ってもらえるのは先輩として嬉しいことなんだから。どんどん甘えてどんどん頼るくらいでいいと思うな〜」


となると、まずはその“当然”をぶち壊さないことには何も始まらない。よし、ここは若利くんのために一肌脱いであげよう。


「そういうものでしょうか」

「少なくとも若利くんは意外とそうだよん」

「え」

「若利くん、あれで意外と気にしてるんだよ?キャラ的に誰も若利くんには気軽に頼れないじゃん?」


嘘も方便とは良く言ったもので。結局若利くんにとってプラスになる嘘なら、別に悪いことじゃないでしょ。まぁでも基本的に唯我独尊な若利くんがそんなこと気にするわけがないとはちょっと考えれば分かることなのに。幸いなことに、さくらちゃんは元来なんだかんだで素直らしい。


「あの牛島さんがですか」

「そ。でもやっぱり選手陣からしたらハードル高いよねぇ。絶対王者だし?」

「そう、ですよね」

「だからマネージャーであるさくらちゃんが率先して頼ってあげたらいいよー」

「…………。」

「若利くんのためだと思って、ね?」

「…分かりました」


根が真面目な子は嫌いじゃない。さくらちゃんは俺の誘導尋問にいとも容易くかかってくれた。よし、これで一歩前進かな。
とにかく俺は引退までにイチャつく二人が見たい。そしてなんとしてでもそんな二人をからかってやって、照れ尽くす顔が見たい。
このクソ厳しい部活生活の中で、それくらいの楽しみはあったっていいと思うんだよねぇ。



「牛島さん」


さくらちゃんは早速、若利くんに駆け寄って行った。若利くんは一瞬僅かにびくりと身体を震わせて振り返った。表情がいつも以上に強張っている。あれが若利くんなりの“気まずい”表情なのだろうか。そんな若利くんの表情を見てさくらちゃんもびくりと身体を跳ねさせていた。


「すみません、牛島さんに…お願いがあるんですけど」


しかしてそこは流石の素直さを持つさくらちゃん。単細胞とも言う。おずおずと早速そんなことを切り出していた。
若利くんは一瞬微かに目を見開いて無駄に威圧感のある声で「…なんだ」とだけ呟いた。非常に分かりづらいけれども、若利くんの頬のてっぺんが微かに赤い気がする。若利くんって嬉しいとこんな顔をするのか。こんな顔も何も、表情自体は相変わらず無いんだけれど。


「ネットの固定紐が、固結びになってしまっていてポールから外せないんです。良かったら手を貸してもら「まかせろ」


食い気味にいった。若利くん食い気味に快諾した。
さくらちゃんはほっとしたようだった。


「あ」

「!?」


固結びになっていたらしい紐はその後若利くんの手によって引きちぎられてしまったわけだけれども、それを見てさくらちゃん得体の知れないようなものを見るような目で若利くんを見ていたけれども、どちらにしたってこれは二人にとって大きな進展だ。
なんだかニヤニヤが止まらなかった。


.

ALICE+