7.敗北と勝利


「木兎さんあなた、馬鹿なんですか」

「…………。」


木兎さんは、かつて見たことも無いくらいのしょぼくれモードに陥っていた。
しかしいつものようにフォローをけしかける気は、今回に限ってはさらさら無かった。
昼休み。部室に駆けつけてくれたみずくさんも、さすがに信じがたい存在を見るような目で木兎さんを見ていた。


「なんですか、寝坊、って」


今日は追試の日、だった。朝のHRが始まる前の1時間で、この人は教室で数学の追試を受けたはずだった。
しかして木兎さんが登校したのは、昼休みも始まろうというタイミングだった。つまるところこの人は、戦わずして追試に負けたのだ。


「…………。」


部室の隅で体育座りをする木兎さんからは、一切の返事が無かった。下手な言い訳が返ってこない分、木兎さんも木兎さんで今回ばかりはショックを受けているだろうし、反省もしているのだろう。
でもだからと言って、今回のことは決して許されるわけではない。


「夏休み開始から2週間、毎朝補修でしたっけ」

「……………。」

「合宿、行けませんね。場所埼玉ですし」

「……………。」


…とは言え、最早こうなってしまったものは仕方が無い。むしろ薄々こうなるのではないかという予想はしていなかったわけでもない。
今回の短期合宿は、烏野という新しいチームの参戦もあり、木兎さんもいつも以上にはしゃいでいた。調子も良かったから、俺だって容赦なく木兎さんにボールを上げた。
それを経た後、木兎さんの頭からは追試のことなんてごっそりと抜け落ちていてもなんら不思議では無い。昨日改めて釘を刺すべきだった。いやむしろ、勉強した内容すら綺麗さっぱり木兎さんの脳内から消えていた可能性だってあるのだから、受けたところで普通に玉砕していた可能性だって大いにあるのだけれども。


「あ、赤葦くん…!」


そしてみずくさんに対しても、どう顔向けをすれば良いのか俺には到底分からなかった。
毎晩毎晩遅くまで木兎さんを待ち、指導案まで用意しながら本気で応援をしてくれていたみずくさん。これはさすがの聖人でも、修羅と化したところでなんらおかしくはない。
どうしよう、いろいろと詰んでしまった。


「みずくさん、本当に、すみません…」

「…あの、木兎くんと一緒にちょっとついてきて貰えませんか…?」

「?」


みずくさんは、何かを決心したような顔をしていた。



―――――――


「…あのなぁ魚見、そう言われてもなぁ…」


放心状態の木兎くんと、能面のような顔をした赤葦くんに付き添ってもらい、私は職員室へと来ていた。
今回の木兎くんの寝坊、という敗因は、私にとっては全くの想定外だった。でも少し考えれば分かることのはずだった。だって他校生との合宿とか、主将でエースの木兎くんが疲れないわけもない。その直後である今日、木兎くんが寝坊なんかをすることだってなんら不思議でも無い。私としても教師役を頼まれた以上、モーニングコールを入れたり、何かしらの対応策をとるべきだった。でも私は、それに気付かなかった。
だから私は、数学教科担任への直談判へと乗り込んだ。要は救済措置の願い入れだ。
一概にダメ元、というわけではない。
何を隠そう数学の教科担当は、私の担任。他でもない、木兎くんに私を教師としてあてがった張本人だった。


「ちなみにこれ、金曜日に木兎くんが受けた模試です。問題は私が作りました」

「うーん…」


今までの勉強会における木兎くんのノートや、小テストの数々、そしてなんと木兎くんが95点を叩き出してくれた先週末の最終確認テストを担任に渡す。しかし、担任からは色よい返事は一向に返ってくる見込みが無い。
…これは、まだ想定内だ。試験においては、点数という明確な指標がある分特に過程の努力よりも結果が重視される。だからいくら木兎くんの今までの努力をアピールしようとも、決定打には欠けてしまう。


「先生、お願いします。“私に”もう一度チャンスを下さい。」


だからこそ活用すべきは、“私の置かれた状況”だ。
この先生は、私の小学校教諭になるという夢を踏まえて“将来の糧にしろ”という形で、私を木兎くんの教師にした。その結果が、不戦敗となってしまったのだ。これはこれで社会勉強になったとしても、私にとっての本来の目的は一切果たせていない結果となる。
まぁつまりは、“頼んだからには最後まで全うするチャンスを下さいよ”という方向で先生に訴えかけているわけだ。
流石に張本人であるせいか、先生はなかなか首を縦には振らないにしても、未だに横にも振っていない。


「…つまり。魚見はどうしたいんだ」


私はちらりと赤葦くんの顔を見た。彼は小さく首を傾げていた。正直怖くないわけでは無かったけれども、この際PTAの目なんて気にしていられない。


「木兎くんの補修、私が見ます」

「……は?」

「私免許持っているので、木兎くんの合宿中、毎日合宿場に通います」

「「はっ!?」」


先生と赤葦くんの声が、ハモった。


「…先生。私じゃ、指導力不足、ですか…?」


わざと俯きがちにそんなことを言ってみると、担任からは盛大な溜め息が漏れた。
それは結果として、彼の降参の意志表示となったのだった。


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