File2

私を選べ

俺の頭の中をぐるぐると何回もそのフレーズが回る。恐ろしいほど真剣な眼差し。確かな自信を孕んだ瞳。あんな不確かな言葉になぜ確信を得たのか。俺は全くわからずにいた。

宮藤明日美

携帯電話にのディスプレイに表示されるその名前は、数百人、数千人の命よりも私を選べと言うなんとも傲慢で、しかしなんとも安心させるような言葉を吐いた彼女の名前だった。
あの言葉が鼓膜を震わせた瞬間、心にズドンと何かが落ちたような、また、心が破裂したようなそんな感覚を覚えた。

勢い、と言うかほとんど無意識である。勝手に彼女の了承も得ず観覧車の中に置かれていた携帯から抜き出した連絡先を眺めながらどうしたものかと悩んでいた。アラサーにもなる男が情けない。
あの事件を口実に彼女に連絡を取るのは容易い。しかしそんなことをして怪しまれないだろうかーーいや、しかしもう一度、彼女に会いたい。あの瞳をもう一度。

そんなことが3日前のあの事件の日からずっと俺の頭の中を駆け巡っていた。

「まーー?まつーー?松田ぁー???」
「うぉわ!?」

突然後ろから聞こえて来た萩原の声に驚き急いで携帯を隠す。

「な、なんだよ!驚かせんな。」
「いやいや、俺何回も呼んでたからね?最近呆けてること多いけど大丈夫かよ。ってか何、なんで慌てて携帯隠すわけ、あやしー」

ニヤニヤとこっちを覗いてくる萩原にガンを飛ばす。

「うるせー、関係ねーだろ」
「うわ、こわ。まぁいいや、それよりこれ、なんか最近この高校付近で不審者でるらしくてよー、結構刃物とかチラつかせてて危険らしいんだ。何人か高校の女子学生が被害にあったって話も出てさ。悪いけどそっちの課で担当してくんねーかな。」
「あぁ、わかった。そこに置いといてくれ。」

高校、と言う単語にそういえば彼女も高校生だったような、と反応し萩原が持ってきた資料を確認するとどうやらとある高校付近でナイフをチラつかせた不審者が女子高校生を中心に衣服を割くなどの行為を繰り返しているようだった。なんともまぁ変態じみた犯行である。
気分転換にとりあえず捜査資料を基に外回りでもしてくるか(決して高校という単語に彼女がリンクしたわけではない)と上着を掴み、少し寒くなってきた秋空の下へと向かった。


目的地の高校まではそこまで遠くなく、車で10分程度だった。学校の外周を不審者がいないか確認しながらぐるっと一周する。まぁ、こんな昼間から犯行に挑むやつなんていねぇか。なんとなく勢いで来てしまったものの(決して高校という単語に反応したわけではない)来る時間を間違えたな。署に戻って書類整理でもして日が傾いてからまたくるかーそう思い車に戻ろうとした、その時。

「あれー?おにーさん何してんの?」

凛、とした声。
都会の喧騒が一気に耳から消え、その声だけが頭の中に響く。

私を選べ

またそのフレーズが頭をよぎる。
聞きたかったはずのその声はあまりにも直接聴くには心臓に悪く、自身の心臓を恐ろしいほどに脈打たせた。
彼女の声が聞こえなくなると今度はドクドクと自身の心臓があり得ないくらい自分の耳に響いた。
声をかけられているから振り返らなきゃいけないのに振り返れない。なんてことはない、事件の時に少しの時間。それも10分くらい同じ空間にいただけの少女じゃないか。数ある事件の中でたまたま出会ったうちの少女じゃないかー。頭ではわかってるのに心臓の音は鳴り止まないしまたあのフレーズが頭を巡り始めた。
なんだなんだなんなんだ、これは一体なんなんだ。
ぐるぐると頭を廻るあのフレーズと心臓の音に混乱していると。

「ちょっと、無視は酷くない?一緒に爆弾解体した仲じゃん。ってかなんでこんなところにいんの?また事件でもーー」

突然自分の顔の前に、あの瞳。俺の顔を覗き込んだ彼女の、顔。3日前と変わらない真っ直ぐな、あの瞳。信じろと、選べと、訴えかけたあの瞳。

目が合った瞬間。自身でも驚くくらい顔に熱が集まるのがわかった。

ガバッと顔を上げ視線を逸らす。
そして、俺は、そのまま。

踵を返し車へと逃走した。

「ーーは!?ちょっと、え!?はぁー!?」

後ろから聞こえる声に振り返ることができるはずもなく、俺はそのまま車へと一直線に走るのだった。

不審者のことなんて忘れて。
ましてや、彼女がまた、今度は学校に携帯電話を忘れて日が暮れてから取りに来るなんて知る由もなく。



ーーーーーーーーーーーーー



バタンッ

車の扉を勢いよく閉める。
車に戻っても心臓の音は鳴り止まずバックミラーに映った自分の顔がありえないほどに真っ赤になっているのことに気づき両手で顔を覆い顔を隠す。
なんだ、なんなんだ、あの声、あの瞳。脳髄に響くような感覚。

「はぁーーーー」

ゆっくりと息を吐き、タバコに火をつける。
吸い慣れたタバコを吸いて、吐いて、を繰り返すと少しずつ落ち着いてくる心拍数と自身の顔の熱に安堵する。高校生の女子に翻弄されるなんてあり得ないだろ、吊り橋効果って恐ろしい。そうだ、吊り橋効果だ。たまたま危険を共にしたから、命を助けたから、そして助けられたから、なんとなくドキドキしてしまっただけだ。あり得ないだろ、女子高生だ。あり得ないあり得ない。
そう自身に言い聞かせエンジンをかける。
兎に角署に戻って一息ついて落ち着こう。3日前からなかなか手がつけられていない書類整理をして落ち着こう、そう思い車を走らせた。



署に戻って書類整理を始める。
しかし。
書類が手につかない。
覗き込んだ瞳もあの声も、署に帰って落ち着いて仕事しようと思えば思うほど頭の中に響いていた。書類を手に取ったかと思えばいつの間にか携帯を握っていて。

宮藤明日美

その名前が表示されたディスプレイを眺めていた。

「ーーだくん。」

不快な思いをさせただろうか、あんな風に突然立ち去って彼女はどんな顔をしていただろう。

「ーーつだくん!」

嫌われただろうか、いや、嫌うとか嫌わないとか以前に彼女は俺のことどう思ってー

「松田くぅん!?!?!?」
「うぉわ!?!?」

突然(ではない)聞こえて来た佐藤刑事の声に携帯を落としそうになる。ん?こんなこと午前中にもあったような。

「ちょっと、大丈夫?外回りから帰って来てから変よ?ただでさえ最近呆けてるっていうのにーーほんとにどうしたの?」
「い、いやー」

ふと。佐藤刑事を見る。なんとなく強気な感じとか、真っ直ぐな目とか、そういうところが彼女に似ているような感じがした。

「なぁ、もしあんたが知り合いに声をかけたとして。そいつが突然返事もせず逃げて行ったらどう思う。」
「は?何言ってんのよ……どうしたの本当に…そりゃあ、いい気はしないんじゃないの、なんか悪いことしたかな、とか考えるんじゃないかしら?そんなことより!さっき萩原くんからもらった資料だけど……」

そこまで言われて佐藤刑事の声がフェードアウトし、考え込む。そりゃやっぱり感じ悪いか、だよな、あれはいくら何でもありえねーよな。ってか俺もう26だぞ。女子高生にあんな態度は大人としてあり得ないだろ。よし、やっぱちゃんと謝んねーと。

ガタッ

席を出て携帯を持ち、立ち上がる。

「あ、ちょっと松田くん!?ちょっと!!」

謝らなければ、と携帯を握りしめた俺は佐藤刑事の制止を無視して外に向かった。

駐車場の車に乗り込む。悪いことをしたし直接謝ろうとも思ったが居場所がわからないんじゃ仕方ない。携帯電話にとりあえず連絡してその辺の喫茶店まで呼び出すか。
宮藤明日美、と書かれた連絡先を少し震える指で押す。

RRRR………

しばらくコール音が響く。またあの声が耳に響くことを想像するとまた少しずつ心拍数が上がって来た。ゆっくりと深呼吸をして心を落ち着かせる。
コール音が鳴り止んだ。

「もしもしーお、俺ーー「ただいま電話に出ることができません。ピーという発信音の後に…」…はぁ…んだよ…」

耳元から聞こえて来たのは彼女の声ではなく無機質な電子音で。半分の安堵と半分の落胆。そんな矛盾した気持ちが渦巻いた。はぁ、どうしたものか。連絡が取れないんじゃ謝りようがない…

RRRR………

頭を抱えていると今度は自身の携帯が着信を知らせた。
彼女からの折り返しか、と期待して携帯を急いで手に取るとそこには佐藤刑事の名前が表示されていた。少し気が抜けて通話ボタンを押すと焦った佐藤刑事の声。

「ちょっと松田くん!?どこにいるのよ!さっき萩原くんからもらった資料のーーなんて言ったっけ、なんとか高校にまた不審者が現れたらしいの!また刃物持ってるっていうしーー」

はっと我に帰る。そういえば自分があの高校に向かったのは不審者の資料を見てからだった。不審者があの付近に現れるということは。
真っ先に浮かんだ彼女の顔と最悪の事態を想像して首を振る。まさか、さっき帰る最中だったようだし。流石にもう家だろう。学校に戻る理由もないはずだーーーそこまで考えて、3日前の事件を思い出す。

『すみませーん!観覧車に忘れ物しちゃって!1周したらすぐおりますんでー!』

まさか。まさかまさか。3日前に携帯忘れてあんな目に遭っておいて、3日後にすっかり忘れて携帯をまた学校に置きっぱなしにしてるなんてこと。あるわけない。そう思うのに。先ほどから繋がらない携帯に嫌な予感がして急いで車のエンジンをつけて走らせた。

「ーーちょっと!松田くん!聞いてるの!?」

そういえば佐藤刑事と通話中だった。彼女のことを心配していたからか全く話を聞いていなかったが、不審者が出没していることはわかった。

「あぁーーとりあえず、俺は先に現場に向かう。」
「ちょっと!?1人で行くなんて危険ー」

プツッ
また観覧車の時のようになんやかんや言われそうだったため電話を切って高校へと向かう。

向かう途中にもしつこいほど彼女へ電話をかけたが彼女が電話に出ることはなかった。