#3
『惹かれあった指先を互い違いに絡ませる。もう二度と離れないように、繋いだ両手を引き寄せて、それから二人は──…』
「はぁ…」
ぱたん、と本を閉じる。お気に入りの本を読むのはこれで8回目。名前がモヤモヤとグレーのため息を吐くのは、いったいこれで何回目になるのだろう。
考えているのは、幼馴染みの凪誠士郎のことだった。
先週の水曜日、結局二人はほとんど無言で帰り道を歩いていた。名前はどうしてもそれが居心地悪く、昔はどんな風に話していたっけ、と記憶を辿ってみても、こちらが一方的に喋っていたことばかりが思い出された。
──凪くんは凪くんのままで、何も変わらない。
それならいったい、何が二人の関係を変えてしまったのだろう。
今日も雨が降っている。昔から、梅雨の季節はあまり好きではない。
名前はもう一度ため息を吐いて、図書室のカギを掴んだ。
物語の続きは帰ったらまた読むことにして、そっと鞄にしまう。紫陽花の栞のリボンがふわりと揺れた。頭が痛い。
(あ、またいる…)
図書委員の仕事を終えて階段を降りていると、大きな柱に寄りかかるようにして座っている、特徴的な白い髪が見えた。
名前はこくりと唾を飲んで、しかし先週よりは緊張せずに話しかけることができた。
「凪くん」
「あ、来た」
「……もしかして、私のこと待っててくれたの?」
「そうだけど」
水曜日は一緒に帰ろうって言ったじゃん。凪はそう言って、平然と立ち上がった。
毎週一緒に帰る約束をした覚えはないが、名前は掲示板をちらりと見た凪の視線を思い出して、その約束が自分のためであるということはなんとなくわかっていたので、何も言うことができなかった。
「ありがとう…」
「うん、じゃあ行こ」
靴を履き替えて、傘を広げる。透明の傘に打ちつける雨粒が、ぱらぱらと弾け落ちる。
その行方を辿るふりをして、名前は隣を歩く凪の靴を見ていた。
(昔は私とそんなに変わらなかったのに)
ビニール越しにちらりと上目で盗み見る。身長だってそうだ。いつの間にかこんなに大きく差が開いてしまった。なんだか違う人のようで、名前は委縮していた。
「なに?」
「あ、ううん。なんでもない…」
凪の視線がちらりとこちらに向けられたので、慌てて目を逸らす。
とくとくと速くなる鼓動の音に、嫌気が差す。目を見て話すことだって、昔なら大したことなかったはずなのに。
なんとも言えない空気感のまま歩いていると、不意に目の前を黒猫が横切った。
「あ、猫だ!」
名前が声をあげると、黒猫はぴたりと止まってこちらを見上げた。凪はどうせ逃げられると思っていたが、しかし黒猫はしゃがみ込んだ名前の方にすり寄ってきたのだった。
「君は、人懐っこいね」
慣れた手つきで警戒心を解いていく名前を見て、凪は自分だったらこうはいかないとその光景を眺めていた。
「凪くんも、撫でる?」
名前が徐に顔をあげると、凪は首を振って「いい」と拒んだ。こういうことが、以前にもあった。凪は名前の瞳の奥に、泣きじゃくる少女の面影を重ねていた。
同時に名前も思い出した。こういうことが、以前にもあった。その時も凪は「いい」と首を振って、名前の一歩後ろに立っていたのだ。
──凪くんは凪くんのままで、何も変わらない。
それならいったい、何が二人の関係を変えてしまったのだろう。
名前はぼんやりと、繋いだ右手の温もりを思い出していた。
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