10 思い詰める


「も、もしもし…」

好きな人に初めての電話を掛ける緊張感と、自分から誘っておいてドタキャン紛いなことをしてしまう申し訳なさから、名前は冷や汗をかいて発信ボタンを押す。ややあって、赤司が電話に出た。

「やあ、苗字さん。どうかした?」

「あの、赤司くん明日のことなんだけど…」

自分が行けなくなってしまったことと、ミランダが代わりに行ってくれるということを伝えると、赤司は少し驚いたのか若干の沈黙が二人を受話器越しに繋いでいた。怒ったのではないか、と名前は内心ひやひやしながら赤司が口を開くのを待っていた。

「…そうか、わかった」

「本当にごめんね、ごめんなさい」

「気にしないでくれ、俺はこのチケットを譲ってくれたことにとても感謝しているんだ」

赤司は名前の反省しきった声を聞いて、どうにか元気を出してほしいと思った。気に病まないでほしいということを何回も伝えると、漸く声に明るさが戻り、赤司は内心ホッとした。しかし再び雰囲気の暗い沈黙が流れ、名前の怯えたような声が聞こえた。

「赤司くん、私が明日行けなくなった理由、聞かないの…?」

名前は自分がクラシック好きだという嘘を赤司にもついている事実を気にしつつ、未だにバレたくないと思っていた。ミランダには言えた。赤司にはどうしても言い出せなかった。好きな人に嫌われることが何より、怖かったのである。しかし、どちらにせよ明日の予定を断る際に理由が必要になり、赤司に事実を伝えることになるだろうと名前は一応身構えていた。それでも赤司は何も聞いてこなかったのである。疑問に思った名前は、自らを突き落とす形になろうとも聞くべきだと思い、その話題を振った。

「無理に聞き出すことはしないよ」

名前は赤司の大人な対応に深く感動した反面、心の何処かがちくりと痛むのを感じた。いつか、いつかは言わなくちゃ。それでも今はまだ怖い。名前は赤司の優しさに甘えてそのまま事実を伝えることなく電話を切った。



特に何もすることなくだらっとした日曜日を過ごしていた名前は、ふと部屋に掛けてある時計を見た。針は19時を指しており、開演してから1時間程経っているということになる。

(ミランダさん、ちゃんと赤司くんと合流できたかな…)

ぽすん、とベッドに倒れこみ、ゆっくりと目を閉じた。瞼の裏に映し出されるのは、肩を並ばせて座るミランダと赤司の姿。BGMはクラシック。何てお似合いなんだろう、と名前は他人事のように思っていた。これが自分が望んだ答えの筈なのに胸の何処かが痛むのは、やはり名前が赤司のことを好きだからという事実。そんな事実が胸の痛みとなり、全身を巡って伝えてくるようで、名前は観念したように枕に顔を埋めた。



「へぇっくしょん!」

名前の部屋に豪快なくしゃみが響き渡った。自分のあまりにも大きなくしゃみに頭が完全に冴えてしまった。ベッドの上にいるものの毛布を下敷きにしており、名前は時計を見ながら冷えた腕を摩った。

(5時だ…朝の)

どうやらあれから眠ってしまったらしい。名前は今日は月曜日だということを思い出して慌ててベッドから飛び降りる。シャワーを浴びようと一階への階段を降り始めたところで、ふと自分の身体の違和感に気付いた。足がふらふらする。心なしか頭もぼーっとする。寒いのに熱い。気持ちが悪い…。冷静に身体の状態を分析していた時、名前は階段を踏み外してそのまま一階まで尻を打ちながら落下した。

「いたた…」

「ちょっと、どうしたの名前」

普段あまり名前に干渉しない教育をしている母親も、こればっかりは吃驚したように飛び起きて様子を見に来た。起き上がろうとしない名前の異変に気付いた母親は、その身体を抱き起こすとその体温が異常に熱いことに溜息をついた。

「あちゃー、完全に熱があるわ」

(熱…?)
ぼーっとする頭でその言葉を呟いた。暫く体調を壊したことのない名前は、自分の症状を理解するのに時間がかかった。母親は名前を担いで階段を上り、部屋のベッドへと戻した。それから名前は意識が遠のく中で、冷たいタオルがおでこにかけられた気持ち良さと、髪を通して伝わる柔らかい母親の手の感触を感じていた。





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