11 病は気から
「もう…馬鹿ね」
月曜日の夕方に制服姿でビニール袋を下げながら名前の部屋にやって来たハナ子は、開口一番に名前を罵った。それでもその呆れた表情の何処かに優しさを感じた名前はベッドから起き上がり、へらりと笑ってみせた。ハナ子はぶつぶつ言いながらもコンビニで買ってきたゼリーを名前に見せ、その目がキラキラ輝いたのを見てふっと笑った。
「行かなかったんでしょ、昨日」
「…」
「そうだろうと思った…あーあ!勿体無い!馬鹿ね、名前は本当に馬鹿」
名前のことを批判しながらもハナ子は何処か嬉しそうに笑っていて、名前も一緒になって笑った。ハナ子は名前の馬鹿正直に生きている感じが堪らなく哀れでとても素敵だと思っていた。そして、どこまでも素直に生きる名前がどうか赤司と結ばれてほしいと心から願った。ハナ子は今日配られたプリント等を渡し軽く雑談すると、名前の身体を気遣ってすぐに帰っていった。名前はハナ子が帰った後、明日は熱が下がりますようにと誰かに祈って大人しくベッドの中で目を閉じた。
▽
「ちょっと、名前」
母親の囁くような声が聞こえてうっすら瞼を開く。そのまま布団に蓑虫のように包まっている名前は、母親の少し慌てた表情に違和感を覚えた。なに、と掠れた声で問えば、耳を疑うような言葉が名前の脳を一瞬で覚醒させた。
「赤司くんって子が来てるわよ」
ガバッと起きて顔を真っ赤にさせる。は、え、どういうこと?!ぐるぐると目が回るような感覚に目眩がしたものの、名前は母親の腕を縋り付くように掴んだ。
「ちょ、ちょっと待ってて!!」
「待っても何も、もうそこにいるのよ」
え、と声を漏らす。ギギギと錆びたネジを回すように視線をずらして部屋のドアを見る。そこには部活バッグを肩に提げた赤司が申し訳なさそうに控え目に立っていた。名前は娘に断りなく男を部屋に通した母親を非難したい気持ちでいっぱいになった。固まる名前を無視して、母親は赤司を部屋の中に入れてドアを閉めた。妙な沈黙が流れる。死にたい。恥ずかしすぎて死にたい。
「赤司くんどうしてここにいやでも来てくれてありがとう本当にありがとうでもなんでここに」
名前が一瞬で毛布の中に姿を消し、つらつらと早口で言った台詞を赤司は理解できずに、それでも自分が訪れた時に名前が寝起きだったということに関しては申し訳ないと思った。
「す、すまない…いくら君のご両親が通してくれたからといって、いきなり女性の部屋に入るのは失礼だったね…」
名前が毛布の隙間からちらりと赤司を確認したところ、彼にしては珍しく慌てた様子だった。それからちょっと頬を赤くして照れている感じがして、こっちまで照れてしまうからやめていただきたいと思った。赤司が床に腰を降ろしたのを見て、名前は観念したように毛布からその姿を出し、せめて髪の毛だけでも、と思って手櫛で整えた。
「こんな時間にお邪魔するのは気が引けたが、それでもやはり心配で来てしまった」
「部活帰りだよね…疲れてる筈なのに、ありがとね」
「俺が来たかったのだから問題ないよ。勝手だとは思ったが、苗字さんの友人に住所を教えてもらったんだ」
(ハナ子だ…)
夕方家に来た時に教えてくれたっていいのに、と名前は上手く笑いながら心の中でハナ子を恨んだ。きっとハナ子のことだから明日ニヤニヤしながら尋問してくることだろう。
「明日は学校に来れそう?」
「う、うん…授業受けないと遅れちゃうし」
「そうか。それでも無理は禁物だよ」
「…赤司くん、昨日はごめんね…楽しかった?」
名前は、俯きがちだった視線を持ち上げ、赤司の表情を伺うように見上げる。すると赤司は落ち込む名前を宥めるような優しい表情で微笑んだ。
「ああ、楽しかったよ…ありがとう」
その言葉に安心する。名前は胸を撫で下ろして、赤司と同じように微笑んでみせた。ぽわぽわと暖かい時間が2人の間に流れる。少し笑いあって、赤司が床に降ろしていたバッグを肩に提げ直し、立ち上がった。
「そろそろ帰るよ。お邪魔しました」
「あ、見送るよ!」
「その必要はないよ、君は寝てなきゃ」
慌ててベッドから立ち上がろうとした名前の側に近づき、赤司は制するようにその肩に触れた。肩からじんわりと熱が伝わり、名前の頬が赤く染まった。結局名前は赤司に言われるままに、毛布へと足をしまい込んだ。
「そういえば果物を持ってきたんだ。ご両親に預けておいたから、後で食べて」
「え…!申し訳ないです…ありがとう」
名前が言葉通り、申し訳なさそうな嬉しそうな表情をしたので、赤司はそれを見てふっと笑った。名前は赤司の笑顔に、ぽーっと見惚れそうになり、慌てて誤魔化すようにバイバイ、と手を振った。
「ああ、また明日」
ぽん、と名前の頭の上に赤司の手が乗る。そしてゆっくりと撫でられ、する、と呆気なく手が離れていく。再び微笑んだ赤司が背を向けて部屋から出て行き、ドアがぱたんと控え目に閉められた。暫く固まっていた名前はやがてそのまま背中からベッドに倒れ込み、ボスン、と身を預けた。(何だ今の…反則すぎる!)それから赤司が帰って時間がいくら経っても身体の火照りが冷めないので、名前は彼が来たことで熱が余計に上がってしまった気がしてならなかった。
ちなみに、暫くして母親の歓喜に満ちた叫び声が聞こえてきたので何だと思ったら、どうやら赤司がお見舞いに持ってきたフルーツがどれも最高級ブランドの物だったそうで、苗字一家一同、“彼は一体何者なんだ…”と震え上がったそうだ。
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