18 それは突然


(な、ない…!)

ガタ、ガタ、とクラスメート達が椅子を引く音が余計に名前を焦らせた。名前は鞄の中をしっかり確認しなかった昨日の自分を恨みながら諦めて、控え目に手を挙げた。

「せ、先生…課題家に忘れてきちゃいました」

昨日ちゃんとやってきたのに、と心の中で言い訳しながら先生が見逃してくれることを祈った。しかしこの教科の先生は提出物に煩く、期限を守らない生徒にはしっかりと別の課題を与えると知っていた名前は、先生が何処かサディスティックに微笑んだ瞬間、その瞳から希望を消した。

「あ〜苗字、珍しいねぇ。でも、期限は期限だから。」

はい、と忘れた課題のプリントと、さらに別の課題のプリントを3枚も渡された名前は、鬼だ、と呟いて渋々受け取った。突き刺さるクラスメートの哀れみの視線よりも、きっと赤司も自分のことを見ているのだろうということの方が恥ずかしくてならなかった。

「先生、俺も忘れた」

ふと、そんな声が聞こえてきて、反射的に後ろを振り向く。堂々と挙手したその声の主は、悪気もなく平然としている同じクラスの男子だった。(田中くんも忘れたのか…)田中がプリントを受け取り、席に戻るのを目で追っていたら、赤司と目が合って、名前は思わずパッと逸らした。





じゃあね、と面白がるように帰っていったハナ子を恨みながら、それでも悪いのは自分なので大人しく席に座り直した。次々とクラスメートが帰宅して行くそんな中、ふと、名前の目の前に椅子を引いてきて、さりげなく座る田中が目に入った。

「苗字さん、一緒に課題やろう」

名前の席は廊下側の一番前なのに、その出入り口を塞ぐようにして椅子に跨る田中を注意しようと名前は思ったが、他のクラスメートが気にする素振りも見せずに、じゃあね、と彼に挨拶していたので、まぁいいか、と呆れながら黙って頷いた。



平均的な学力の名前と、平均以下の田中が協力しながらその課題を終わらせるには結構時間がかかった。さらには途中で田中がやる気をなくして寝始めるものだから、もうすっかり外は暗くなってしまっていた。

「田中くん、あとちょっとだから頑張ろう」

教科書を顔に乗せて、仰け反るようにしてだらしなく椅子に座る田中を揺すり起こす。んー、とやる気ない声が聞こえて、名前は困ったように溜息を吐いた。もう時間も遅いし、彼の分までやってしまおうか、とそのプリントに手を伸ばした時、田中が口を開いた。


「苗字さんって、赤司のこと好きだろ」


吃驚してパッと顔を上げれば、動揺を隠せなかった名前の瞳を田中は楽しそうに見つめた。名前は自分の頬が徐々に赤く染まっていくのを感じて目を逸らす。

「な、なんで…」

「苗字さん、わかりやすすぎ。クラスの奴らも口には出さないけど皆知ってると思うよ」

さっきまでのやる気のない態度は何処へやら。田中は身を乗り出して、名前を追い詰めるように顔を覗き込んだ。そんな田中に、もう誤魔化すこともできずに名前は黙り込む。

「最近苗字さん、頑張ってるみたいだけど、赤司は難しいんじゃね?今まで告白されてきても全部断ってるって噂あるし」

「う、そ…そうだね」

「それに、もし赤司と付き合えたとしても、あいつ部活優先だろうし、なかなか遊んだり、デートしたり、恋人らしいことできないと思うよ」

「かもね…」

「…そんなの、意味なくね?それでもいいわけ?」

何を考えているのかわからない瞳で射抜くように見つめてくる田中に若干たじろぎながらも、名前はゆっくり頷いた。

「…確かに恋人ができたらね、沢山デートしたり、沢山話したいよ。それに恋人らしいこともしたいなって思う…。でもそれは全部、好きな人とだから意味があるのであって、赤司くんじゃなきゃ、意味がないから…」

ハナ子とミランダ以外の人に赤司への気持ちを打ち明けるのは初めてで、名前は少し照れながら微笑んだ。揺るがない気持ちは確かな決意で、名前は控えめながらも何処か自信のある表情で田中を見つめた。ところが反対に、田中は面白くなさそうに名前を冷たい瞳で打ち抜くのだった。


「…俺じゃ、意味ないってこと?」


予想していなかった田中の台詞に、え、と情けなく漏れた声と、廊下からバサッと何かが落ちる音が聞こえたのはほぼ同時だった。教室の扉のガラス越しに、見慣れた赤髪が、揺れていた。

「…っ!」

田中がそのドアを勢いよく開ければ、やはり赤司が立っていた。愕然とする名前と、赤司の視線が交わる。重い沈黙が3人の間に流れていた。


「…すまない。聞くつもりはなかった」


ぽつり、と赤司は一言謝り、そのまま踵を返して廊下を歩いて行った。田中もまた、気まずそうに頭を掻いて、ごめん、と小さく謝る。何が起きたのか、全く理解できずにいた名前は漸くハッとして咄嗟に廊下に出る。しかし既に赤司の姿は無く、教科書が一つ、落ちていただけだった。これが誰の物かなんて、わからないわけがない。そして、赤司がどうして教科書を持ってこの教室に訪れたのか、その理由も名前にはわからないわけが、なかった。

「…っ赤司くん…!」

「待って」

引き止められたその腕が力強くて少し痛かった。涙が薄く膜を張った瞳で振り返れば、滲む視界に田中が映った。名前の頭の中はもうぐちゃぐちゃで、ただ立ち尽くすことしかできない。

「…課題、まだ終わってないよ」

田中の言葉がやけに名前の耳に残った。どうしてこんなことになってしまったのか、名前にはわからなかった。ただ、いつでも完璧な赤司が、落とした教科書を一つ拾い忘れたというらしくない失態から、彼の動揺だけが痛く伝わってきて、ついに涙が一筋、名前の頬を伝った。




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