伸ばされた手〈前編〉
その瞬間は唐突にやってきた。
この世界に目覚めた瞬間、頭を揺らしたのは《誰か》の記憶。同時に溢れてきたのは、始めて知る《感情》。
膨大な量の情報と渦巻くような感情をただ与えられ続け、呑まれながらも、視覚だけは冷静に周囲を認識していた。
そして、歪むような痛みの中で、たったひとつだけ理解する。
──この不快感の原因は、目の前で動く《これ》なのだと。
自分の中で荒れていた情報と感情の波は次第に落ち着きを見せ始め、徐々に周りの状況を再び理解できるようになる。
柱が折れ、壁も崩れた、自分の立つ場所。今にも崩れそうなこの建物は《教会》という建物だろう。外へと続く扉から一番遠い、部屋の最奥は一段高くなっており、かろうじて人型を保っている像が掲げられている。あれは恐らく《偶像》だ。
そして、その偶像の前に広がる空間に、自分の足元に倒れる無数の塊。首の折れた男性は《ヒト》で、頭が潰れた女性も《ヒト》で、胸を貫かれた男性も《ヒト》で、腹を裂かれた女性も《ヒト》で、転がる手足も《ヒト》で。
──だが、自分は《EC》だ。
認識すると同時に、頭の奥でプログラムが《情報の伝達》を命令する。それがお前の《役目》なのだと。そう繰り返し脳を揺らすかのように、激しく明滅する光のような不快感に、強く首を振った。
ふと、みしりと軋む嫌な音に頭上を見上げる。状況を把握する時間もなく、綺麗なアーチを描いていた天井があっけなく崩れ落ちてくる。頭上から降ってくる瓦礫を避ける気もなく、ただぼんやりと眺めていた。大人の拳くらいの瓦礫が額に当たり、骨が嫌な音を立てる。走る痛覚信号に、不快感が増した。
命令通りに《役目》を終えれば、この不快感から解放されるのだろうか──?
揺れる頭で考える。
脳の奥から伝達される自分の《役目》は、己の情報を解析し、整理し、報告すること。
──しかし、誰に?
周りは既に、瓦礫の山。掘り返しても、死体しか出てこない。濁流のように押し寄せた記憶と感情に呑まれるままに、自分が殺してしまったのだから。
爆発しそうな不快感を抱えて、ただ途方に暮れることしかできない。頭の奥で酷くなる明滅に視界が揺れて、しゃがみ込む。意識を保つのが精一杯で、視界を遮るように肌を滑る赤い液体と共に、時間だけが流れていく。
そんな中、瓦礫を踏む音が耳に入った。
気付いた時には背後にあったその気配に、反射的に振り向いて左腕を突き出す。重い衝撃。同時に視界が反転して、目に映るのは青い空。背中に当たる固い感触で、地面に倒されたのだと理解した。
衝撃を受けた左腕を見れば、斧の刃端で手ごとしっかり地面に縫いつけられている。動かそうとしても、動かない。痛覚信号はうるさいくらいに警報を鳴らすが、不思議と不快ではなかった。
「……………」
視線を正面に戻せば、罰が悪そうな顔をした《ヒト》と目が合った。唐突に視界に現れたその《ヒト》は、警戒しているのだろうか、自分の自由な右腕に手を置いて、様子を窺うように覗き込んでくる。
少し険しい顔を見せるその《ヒト》が、目の前で生きていることに安堵した。早く、この《ヒト》がここに存在しているうちに。
「……報、告」
そう、《報告》しなければ。
相手が誰だろうと構わない。ただ、それが、自分の存在に定められた理由なのだから。
「──記憶データの約70%が消失、実験は失敗しました。同一条件で再度実験を行った場合の成功率は1%未満」
気持ち悪いくらいの強制的な使命感が、澱むことなく声を押し出す。
「成功率上昇には《器》の保持データ容量の拡大、精神面の強化、場合により感情消去が必要となります。………だから」
幾重にも流れ込む記憶から知った押し潰されそうなほどの感情に、己れの感情とは関係なく声が揺れる。
与えられた《役目》を果たして、自分の存在理由はなくなった。残されたのは、唐突に絶たれる数々の記憶。湧き上がるのは絶望感だけ。記憶の中では、誰一人として救えない。
そんな、無力な《自分》は要らないから。
「……もう、壊して」
滲む視界で捉えたその人は、緑色の瞳を揺らして──自分に向かって手を伸ばした。
to be continued.
2018/02/19:加筆・修正
thanks!!
⇒???(翡奈月あみ さま)
