新たな舞台への第一歩
「……平和だな」
校舎と呼ぶには少々立派な建物に背を預け、リベリオ・ゾーラはぼんやりと呟く。
ここは中央大陸にある、神の涙学院。その関係組織だという傭兵団《天狼》にリベリオが身を置くようになってから、早いもので既に数ヶ月。野暮用があるというリーダーのギンバールに付き合う形で、初めて学院へと足を踏み入れたのは小一時間ほど前のことだ。
物珍しそうに周りを見回していた自分に気付いたのだろう。少し散歩でもしてきたらどうだとギンバールに勧められるまま、特に目的もなく歩き回った末に立っている此処は、恐らく運動場か訓練場。整備の行き届いた広場の片隅だ。
少し離れたところでは、実技の授業だろうか。訓練用の木製の武器を手に、身体を動かす生徒たちの姿が見える。真剣な雰囲気ではあるものの、当然のように殺気というものは全くない。
「…………平和だ」
二度目の呟きには、思わずため息が混ざった。
本来ならば、リベリオも学校に通っていても可笑しくない年齢ではある。学ぶ環境に興味もあるし、こうして実際に目にすれば楽しそうだとも思えた。
ただ、そこに自分が順応できるかどうかとなると、全く別の問題だろう。正直、生徒としてこの場所で生活していける自信はない。こうして眺めているだけの立場だというのに、殺気のない戦闘訓練に物足りなさを感じてしまうのだから、きっと数日と持たないだろう。
平和であることは、いいことだ。リベリオも好んで殺意を向けられたいとは思わない。
しかし、隙を見せれば次の瞬間に命があるかわからない、肌に刺さるような緊張感の中で相手と渡り合う──そんな環境の中で生きてきたし、結局、自分にはそういう生活が合っているのだ。
軍を抜けたのだって、特に不満があったからではない。偉そうな幹部連中は嫌いだったが、環境だけならば性に合っていたと言える。軍人としての自分を育てた上官が唐突に辞めたりしなければ、今でも軍に居たはずだ。
自分を育てた上官。
教師になるとだけ告げて軍を去った彼女は、今どこで何をしているのか。思い立ったら即行動に移す人ではあったが、今回ばかりは本当に突然だった。自分を含め周りは相当困惑したが、部隊の体制にほとんど影響が出なかったのは、彼女の教育の賜物だろう。
そんなことを考えながら生徒たちの姿を眺めていたリベリオの耳に、扉の開く音が届く。何とはなしに視線を向け、そこに佇む思いもよらない人物に目をみはった。
「……あ、姐さん?」
「あら? リベリオじゃない」
自分が背中を預けていた校舎から現れたのは、今まさにリベリオが何処にいるのかと考えていた上官──コーディリア・シュラプネル。いなくなったのも唐突ならば現れるのも突然で、ただ呆けることしかできない。
そんなリベリオとは反対に、コーディリアは少し驚いたような顔をしたものの、すぐに笑顔で近寄ってくる。
「どうしたの、リベリオ。こんなところで」
「姐さんこそどうして此処に!?」
「教員試験に受かったからよ?」
「仕官学校の教官になったんじゃなかったんすか!?」
「私、仕官学校に勤めるなんて一度も言ってないけど」
だからといって、第一線で活躍していた軍人が、こんな軍と縁も所縁もない場所にいるとは思わないではないか。そう言いたいところをぐっと堪えて、頷くだけに留める。確かに『教師になる』とは聞いたが仕官学校だとは聞いていない。完全に自分の思い込みだ。
早とちりね、と呑気に笑うコーディリアを前に、痛むこめかみを押さえるしかない。
つまり、彼女がいきなり軍を辞めたのは、この学院で教師になるためだったということか。状況からしてそういうことなのだろうが、平和すぎるように見えるこの場所に、彼女が満足するような何かがあるとは到底思えない。思えないが、自分にはわからない深い理由あるのだろう。きっとそうだ。そうでなければ納得できない。
「コーディリア!」
痛む頭に響くような弾んだ声に振り返れば、視界にはいったのは背の高い男性。コーディリアを見るなり、一直線に駆け寄ってくる。
「あら、アルバートくん」
「コーディリア。今度の合同授業に使う場所、イェルク先生から伝わっているとは思ったんだけど、よかったら一緒に──」
そこまで言ってようやく相手はリベリオに気付いたのか、視線が合う。
「……………誰すか」
身長差から必然的に自分を見下ろす形で首を傾げる目の前の優男に、自分でもほとんど聞いたことのないような低い声が出た。
コーディリアが敬語を使っていないということは、確実に彼女よりは年下だろう。年下の男が自分の上官を呼び捨てしている事実が腹立たしい。かといって、当のコーディリア本人は全く気にした素振りを見せていないのだから、自分が縦社会に染まりすぎなのだろうか。
「リベリオ、紹介するわ。ここで銃の教師をしているアルバート・バージェルくんよ」
コーディリアに手で示されて、よろしく、と頭を下げるアルバート。礼儀としてリベリオも名乗り、頭を下げる。アルバートへ補足するようにリベリオとの関係を説明するコーディリアを横目で眺めながら、当のリベリオは苦い顔をするしかない。
だって、そうだろう。彼女が目の前のアルバートへと向ける視線は見たことがないくらいの優しいものだ。彼女が自分の懐に入れた相手へ向ける慈しむような色に、甘えるような色を含んだ、そういう目。
そもそも、自覚があるのかまでは知らないが、コーディリアは裏表のない人物に甘いのだ。加えて、初対面のリベリオから見ても無害で善良で素直そうなアルバートは、根本的な人間性からしてコーディリアの好きそうなタイプである。二人がどんな関係か、現時点で推し測るのはリベリオには難しいが、決して悪い関係ではないのだろう。
「リベリオ? どうかした?」
名乗ったきり黙ってしまったリベリオに、コーディリアとアルバートが不思議そうに顔を見合わせる。
そんな光景にすら苛立ちを覚えるのは、きっと、姉を盗られた弟のような──例えるのならばそんな感情が一番近いのだろう。自分がこんなに子供っぽい感情を持つとは思ってもみなかった。
思ってもみなかったが、現実的にそうなのだから仕方ない。
「俺は……俺は、認めねーっすからね!!!」
アルバートへ、というよりは、コーディリアに向けて。語気を強めにそれだけ言って、挨拶もそこそこに逃げるように踵を返す。これでは完全に子供の八つ当たりだ。わかっている。
此処が学校という組織である以上、自分は彼女と同じ場所には立てないだろう。此処では生きていけないと、つい先ほど結論付けたばかりの場所だ。そこでコーディリアが生きるというのなら、きっと、自分が独り立ちするべきタイミングなのだ。
本来ならば、彼女が軍を去った時点でそうするべきだった。頭の隅ではわかっていた。それでも追いかけて来てしまったのは。
「……ガキかよ」
甘えていたのだ。厳しくも優しい、姉のような存在に。
子供の自分を振り切るように、リベリオは元上官の新たな舞台を駆け抜けて、今の上官の元へと全速力で駆けていく。
「リーダー!仕事しましょう、仕事!雑用でも何でもやってやりますよ!!!」
それは唐突に訪れた、新たな舞台への第一歩。
fin.
2018/02/21
thanks!!
⇒アルバート&ギンバール(翡奈月あみ さま)
