虚像の楽園
「じゃあ、みんなは幸せなんだね!」
「えぇ、もちろん。神が見守ってくださっているのですから」
セレストが深く頷けば、目の前の小さな少女──タヌキは嬉しそうに笑う。
広大な図書館の宗教書を集めた一画。普段はあまり人の寄り付かないこの場所で、タヌキが何冊もの分厚い書物の背表紙とにらめっこを繰り広げていたのは、つい小一時間ほど前のこと。
丁度、本の返却に来たセレストが珍しさも相俟って声を掛ければ、振り返った少女は純粋な瞳で告げたのだ。
『神さまのことが知りたいの』
大好きな人たちが神様の元に居るから、神様のことを知りたいのだと。そう自分に告げたタヌキに、セレストは少し思案して、いらっしゃいと近くにあった椅子を引いた。
年端もいかない子供が、厚く文字の小さい宗教書を読むのは大変なことだろう。幾度も繰り返した神についての説法は、もはや自分には有り難みも感じられないただの文章に過ぎないが、内容は嫌でも頭に焼き付いている。
そうして隣に座らせたタヌキに、内容を噛み砕きながら神を説く。あまり詳しく話しても途中で飽きてしまうだろうと、難しい話は省いてしまったが、彼女の求めていた答えはセレストの話の中にあったようだ。
神が見守る場所は、決して餓えることのない、暖かく綺麗な慈愛に満ちた場所である。その言葉に安心したのだろう、タヌキは屈託のない笑顔を浮かべていた。
しかし、ふいにその笑顔が少しだけ翳る。
「でも……みんなと会えないのは、ちょっとさみしい」
「……そうですね」
肩を落とすタヌキの気持ちは、セレストにも少しだけ理解できる感情だ。いくら済んだことだと割り切っても、どうすることもできないと頭では理解していても、寂しいという気持ちだけは無条件に残り続ける。
俯くタヌキの手をそっと握り、セレストは覗き込むように視線を合わせた。
「みんなも寂しく思っていると思いますが、いつかタヌキさんが神さまのところへ行くことになれば、また会えますよ。……それは、ずっと先のことですけれど」
できるだけ優しく、できるだけ当たり前のように。
そう語り掛ければ、タヌキは少しだけ元気を取り戻したようで、しっかりと頷いた。子供らしく素直な反応に笑みを溢しながら、セレストも頷き返す。
「……あら、もうこんな時間」
ふと時計に目を向ければ、時刻は既に夕方。日の傾きも大きくなる時間帯だった。
「わっ、たいへん!きーちゃんが帰ってきちゃう……!」
部屋でおかえりを言うのだと、慌てて立ち上がるタヌキに手を貸しながら、セレストはふと思い出す。かつて、同じように自分の帰りを待っていてくれた子供たち。セレストが門を潜れば駆けてきて、口々におかえりと言ってくれたものだ。
長い時間座っていたことで少し乱れたタヌキのスカートの裾を整えてやりながら、懐かしさに目を細める。
「タヌキさん。急ぎすぎて転ばないように、気を付けるのですよ?」
「うん!セレスト先生、さようなら!」
「はい、さようなら」
神の御加護がありますように。
別れ際に額に優しく口付ければ、タヌキはくすぐったそうに笑う。手を振って駆けていく少女に笑顔で手を振り返しながら、姿が見えなくなるまで見送って。
ふと、罪悪感を覚えた。
「……いつか会えますよ、なんて」
そんなこと、微塵も思っていないくせに。
まるで信じているかのように神を語り、無垢な子供に神の存在を信じさせるなど。酷い大人だ。子供を力で虐げる人種と何も変わらない。
だが、言えるはずもないではないか。友人は神の庇護下にいるのだと信じる子供に、神は誰も救ってくれないなどと。
「騙したことに、なるのでしょう」
信じることは、悪いことではない。神の存在を信じる限り、死んだ命は神に守られて生き続ける。信じなければ、それで終わりだ。
信じた神を捨てた自分は、信じることで自分の中に生き続けたはずの命をも、捨ててしまったことになるのだろうか。
「それでも、神など信じていないわ」
神を綴った書物の並ぶ空間で、静かに吐き出された呟きは、溶けるように小さく消えた。
fin.
2018/06/29
thanks!! & name thanks!!
⇒タヌキ&キリン(翡奈月あみ さま)
