神の涙で満ちた箱庭



虚栄の彼方


 広大な図書館の宗教書を集めた一画。立ち尽くすセレストに聞こえるように、コトヒラが書棚を軽く叩けば、乾いた音に気付いた彼女が視線を上げる。豪奢な装丁の本に囲まれながら、綺麗な姿勢で立つセレストの姿はまるで一枚の宗教画のようで、聖職者という肩書きがよく似合う。
 そんな皮肉の混ざった感想を抱きながら、コトヒラは書棚の壁に手の甲を当てたまま、薄く笑った。

「子供を騙したと傷付くくらいなら、その面倒くさい生き方やめたらどうですー?」

 独り言を聞かれていたのは、想定外だったのだろう。セレストはきょとんと瞬いて、それでもすぐに笑い返してくる。

「コトヒラ先生にだけは言われたくない台詞ですね。それに、盗み聞きなんてお行儀の悪いこと、教師のすることとは思えませんけれど」

「盗み聞きなんて人聞きが悪いですよー。本を返しに来たら、あなたが勝手に喋っていただけです」

 心外だと肩を竦めながら、コトヒラが手に持っていた本を軽く掲げてみせれば、ならば仕方ないとでもいうようにセレストは鷹揚に頷く。
 これで、この話は終わりだ。お互いで何かを決めたことはないが、接する内に出来た暗黙の了解とでも言うのだろうか。尤も、セレストには元から盗み聞きを咎める気などなかったのだろうが。

「ところで、コトヒラ先生は神を信じる気にでもなりまして?」

 挨拶代わりの話も済んで、当然、相手は立ち去るものだと思っていたコトヒラ。不思議そうに訊ねられて、今度はこちらが目を瞬かせる番だった。
 セレストの顔と自分の手元を見比べて、あぁ、と頷く。
 コトヒラが手にしていた本は、偶然にもセレストが関わる宗教の聖典と呼ばれるもの。それをコトヒラが読んだという事実が、彼女の興味を引いたらしい。

「まさか。単なる知識的な興味ですよ」

「あら、残念。そのようなことになろうものなら、鼻で笑って差し上げましたのに」

「それは本当に残念です。貴女の化けの皮が剥がれる様は、さぞ見物だと思うんですがー」

 柔らかい口調に似合わない棘のあるセレストの言葉に、コトヒラも軽く嫌味を返しながら、彼女に近付くように一歩踏み出した。セレストの傍を横切って、手にしていた本を棚へと戻す。
 何とはなしに隣の本を引き出して、適当なページを開いて繰るが、特に自分が興味を惹かれる内容ではなさそうだ。

「そういえば、ショーン先生が落ち込んでいましたよ」

 そう言ってコトヒラが視線を本からセレストに移せば、脈絡のない内容に意味を図りかねたのだろう。彼女は軽く首を傾げる。

「なぜ私に言うのでしょう?」

「セレスト先生に慰めて貰うのが、今のところ一番効果的だからです。いっそお付き合いでもしてあげたらどうですかー」

「あら。ショーン先生は好ましく思っていますけれど、生憎、男性としては興味がありません」

 ばっさりと断言するセレストに、コトヒラは笑う。

「告白してもいない相手に振られるなんて、ショーン先生は可哀想ですねー」

「コトヒラ先生も私から見れば男性として及第点に達していませんから、事実としてはおあいこではなくて?」

「あなたのような女性、こっちから願い下げですがー」

 はっきりと拒絶すれば、こちらの台詞ですよ、とセレストも笑う。
 そう、願い下げだ。他人の傷を機微に感じとり、息をするように気を使ってくる優しく賢い女なんて。

「……自分の手に負えない女なんて、好きになっても不毛なんですよねー」

 思わず呟けば、ほら。
 いつもは棘を吐く癖に、今は優しささえ滲んだ表情で、静かに微笑むだけ。

「私はこのあたりで失礼いたしますね、コトヒラ先生。ショーン先生が泣いていらっしゃるのでしょう? そんなに期待されているのであれば、慰めて差し上げるのも吝かではありません」

 一人にしてくれなどと頼んではいないのに、まるで自分の都合であるかのように、相手の自尊心を決して傷付けないように、自然と距離を置いてくる。

「……えぇ。きっと今頃、タカオキ先生が手を焼いていると思いますよ」

 聡明で自立しているセレストは、きっと自分にとって付き合いやすい相手なのだろう。彼女を好きになれたのなら、きっと全てが上手くいく。そんな予感さえあった。
 ただ、方向性は違えども、セレストは《彼女》によく似ているから。
 この先、自分が彼女に惹かれることはない。

 一礼して去っていくセレストの姿を見送ることなく、自嘲するようにコトヒラは笑う。
 興味もない本のページを眺めながら、遠ざかる足音に耳を傾けていた。





fin.
2018/06/30

神の涙で満ちた箱庭
七つの水槽