神の涙で満ちた箱庭



虚日の相対


 沈んでいく太陽をぼんやりと眺めながら、レウェルティは階段を下っていた。
 学生の頃から幾度となく目にしている、慣れ親しんだ学院の景色。いつも通る道だからと、油断して足元に注意を払わずに歩いていたのが悪かったのだろう。義足である左脚を踏み出したときに小石か何かを踏んだようで、体重をかけた瞬間に体勢を崩す。
 おや? と思った時には視界はぐるりと回っており、気付いたときには階段の下。ほとんど下りきっていたのが、不幸中の幸いだろうか。

「いたた……」

 我ながら、何とも豪快な転び方だ。呆れながら、片腕で上半身を支えて身を起こす。地面に座ったまま、強かに打ち付けた側頭部に手を当てた。
 痛みが引くのを待ちながら何となく周囲を見回せば、つい先ほどまで自分の身体を支えていた義足が、転んだ拍子に外れたのか、やや離れた場所に投げ出されている。見たところ壊れてはいなさそうだが、自分では細かい性能に影響があるかまではわからない。専門家に見てもらう必要があるだろう。
 また転んだのかと怒る妹を想像して、少しだけ申し訳ない気持ちになる。

「レウェルティ先生!」

 ふいに、少し驚いたように名前を呼ばれて、同時に駆けるような足音が近付いてくる。
 ゆっくりと振り向けば、此方へと小走りで近付いてくるのは、同じ魔術科教師であるセレストだった。派手に転んだ音を聞き付けて、様子を見にきてくれたのだろう。

「何をなさっているのです……!」

「やぁ、セレスト先生。悪いのだけど、そこに落ちている脚、拾って貰っても構わないかな?」

「呑気に挨拶など、している場合ではありません!」

 険のある目で軽くレウェルティを睨みながら、それでも頼まれた通りにセレストは落ちた義足へと足を向ける。見た目よりはやや軽いそれを丁寧に拾い上げ、座り込むレウェルティへと近付いてきた。
 義足を手にしたまま、自分を見下ろす形で動きを止めたセレストに、レウェルティは首を傾げる。

「レウェルティ先生……何を、なさっているのです?」

「何を、と言われても」

 普段は笑顔を絶やさないセレストに真顔で見下ろされると、落差も手伝って迫力がある。そんな場違いなことを考えながら、レウェルティは傾げた首をゆっくりと戻した。

「散歩をしていたら、ちょっと転んだだけだよ」

「どうせ、余所見でもしていらしたのでしょう?」

「すごいね、セレスト先生。もしかして、見ていたのかな?」

 素直に感心したように頷けば、セレストは思わずと言った風に溜め息を吐いた。座り込んだレウェルティと視線を合わせるように腰を落とし、問う。

「なぜ大人しくできないのです?」

「じっとしてると暇だからね」

「では、常に足元に気を配ることは?」

「それについては申し開きのしようがないけれど」

 幼い子供を諭すようなセレストの口調に、少しだけ罪悪感を覚える。全ては自分の不注意が原因なだけに、余計にばつが悪い。
 困ったように笑うレウェルティをじっと見つめて、セレストは眉間にしわを寄せた。一呼吸を置いて、もう一度溜め息を吐くと、静かに口を開く。

「……あなたは、ご自身の命を軽んじていらっしゃる」

「それは、そうかも知れないね」

 セレストの言葉に、否定する要素はない。
 事実、レウェルティにとって、自分の命は執着するものではなかった。いつか等しく終わるものならば、望むように生きたいと思う。それが酷く我儘なのだとしても、それでも。

「私は、自分の気持ちを大切にしたいと思うよ」

「死んだら何も出来ません」

「生きている間にしか、出来ないこともあるだろう?」

 淡々とした口調を崩さないセレストに、どこまでも穏やかな口調のレウェルティ。お互いに感情的になることは決してなく、お互いに譲ることも絶対にない。
 恐らく、自分たちはよく似ている。ただ、優先するものが違うだけだ。
 しかし、そんな些細な差が、強固で明確な壁となって、二人の間には立ち塞がっている。

「やはり平行線ですね。……とりあえず、いま議論しても仕方のないことです。私では運んで差し上げられませんので、誰か呼んで参ります」

「別に大丈夫だよ。立つのだけ手伝って貰えれば、自分で歩くさ」

 立ち上がりかけたセレストに、義足を返して貰おうとレウェルティが手を伸ばせば、やんわりと、しかし、明確に拒否の意志を持って振り払われる。

「あなたの『大丈夫』は、言葉通りではない可能性の方が高いと、確信しておりますので」

 はっきりと言い切られて、一瞬だけ目を丸くしたレウェルティ。信用ないなぁ、と呑気に笑えば、セレストは僅かに目を伏せた。

「……コトヒラ先生が、不毛だと仰っていた意味がよくわかります」

 それ以上は何も言わず、黙って立ち上がったセレストは踵を返す。校舎へと足早に遠ざかっていく背中は、決して振り返ることはない。
 自分の行動を、選んだ道を、後悔しようとしない姿勢は、やはりお互いに似ているのだろう。だからこそ、溝は小さくとも埋まることがない。この先、何度言葉を交わしても、解り合う日はこないだろう。

 これは、予想ではなく、確信だ。

 普段通りの何でもない一日の終わりに、レウェルティは長く息を吐いて、暗くなる空を静かに仰いだ。





fin.
2018/07/03
2019/06/16:加筆・修正

神の涙で満ちた箱庭
七つの水槽