虚声の真偽
──死にたい。
傾いた日射しに照らされる職員室。ショーンは机に突っ伏したまま、軽率に口から漏れそうになる一言を、ぐっと飲み込んだ。
もちろん、ただの比喩表現だ。本当に死にたいとは思っていない。ただ、戯れ言とはいえ、いま口に出せば隣に座る彼女に確実に聞こえてしまうだろう。そして、この手の表現は例え比喩であったとしても、彼女の気分を害する。ささやかな配慮をするだけの判断力は、ショーンにもまだ残っていた。
飲み込んだ言葉を、溜め息に変えて吐き出す。
「溜め息を吐かれるのも結構ですが、そろそろ顔を上げては如何です? ショーン先生」
諭すように声をかけられて、のろのろと視線を隣へ向ければ、隣に座る彼女──セレストと目が合う。先ほどまでタカオキが座っていた椅子に腰を下ろして、いつもと変わらぬ微笑を浮かべている。
「いつまでも情けない顔をなさっていないで。失敗など、誰にでもあります」
「それは……そうなんですけど」
昼間の失敗を思い返せば、溜め息しか出てこない。
たまたま受け持った初等部の授業。自身の堅い態度が原因で、初等部の女の子を泣かせてしまった。その事実から立ち直れずに、ショーンは顔を上げることが出来ないでいる。
普段通りを意識すればするほど上手く言葉を選ぶこともできず、無表情に返した短い言葉が、突き放したように受け取られてしまったのだろう。一言でも気の利いた言葉を添えられたなら、少しでも柔らかい表情で返せたのなら、泣かせてしまうことはなかったはずだ。
己れの不甲斐なさから再度、大きく息を吐けば、今度は慰めるように頭を撫でられる。ありがたさと情けなさで複雑な心境ではあるが、それを伝える気力もない。
「……教師が生徒を泣かせてしまうなんて……最低です」
「そうですね、最低です」
「うっ……はっきり言いますね……」
事実ですから、と優しくも辛辣に言い切るセレスト。
既に帰宅した教師も多く、残った教師も提出物の確認や明日の準備で忙しい時間帯だ。言葉を選ばずとも誰も聞いていない、という判断なのだろう。普段であればもう少し穏やかに表現されるであろう、容赦のない正論が続けられる。
「長々と落ち込む時間があるのなら、少しでも改善しようという方向へ意識を向けた方が有意義では? 後悔と反省は違いますよ」
「……わかっては、いるんですけど」
そう、わかっている。後悔するだけでは生産性がないなんて、それこそ今までにもセレストに何度も言われていることだ。
それでも、後悔と自己嫌悪が勝ってしまう。
周りに嘘をつかないことが、新しい道を示してくれた学院長に対する誠実さだと思っていた。だが、結果的に生徒に不愉快な思いをさせるのならば、いっそ、昔のように人当たりの良い人を演じていた方が良かったのだろうか。
「正直に振る舞うことが、こんなにも難しいなんて……初めて知りました」
人を騙すことの方が、楽だとすら思う。相手もろくな人間ではなかったし、罪悪感さえ捨ててしまって、ただ生きる方法だけを考えていればよかった。
そして、そんな考えが浮かんでしまう自分が、如何に楽な方へと流されて生きてきたのかがよくわかる。
下を向いたまま、もう何度目かもわからない溜め息を吐き出せば、困ったように笑うセレストの気配。そろそろ愛想を尽かされただろうか。そんなショーンの心配をよそに、励ますように肩に手を置かれる。
「よろしいではないですか、素で接することができずとも。心さえ偽らずに在るのなら、相手との関係性によって態度を変えることが、悪いことだとは思いません」
それは、シスターという仮面を被る、彼女の経験から出る言葉だろうか。相手によって態度も言葉も選ぶセレストから出るその言葉は、説得力としては十分だろう。
それでも、というショーンの呟きを遮って、セレストは続ける。
「それとも、貴方の生徒への態度には、心が伴っていないのでしょうか? 愛想はともかく、真摯に向き合っていらっしゃると思っていたのですが……私の勘違いだったのでしょうか?」
「そんなことは……」
ない、はずだ。
詐欺師として生きてきた自分には、魔術以外に何も教えられることはない。薄汚れた身で善悪を説くなど、烏滸がましい。
しかし、だからこそ、せめて生徒に対しては正直で在りたいと、偉いと思えば褒めてきたし、危険なことをしたと思えば叱ってきた。
「……そんなことは、ないです」
セレストの目を見て、はっきりと言い直す。
態度こそ堅くはなってしまうが、言動で嘘をついたことなど一度もない。嘘をつかないという戒めだけは──それだけは、破るつもりはなかった。
ようやく顔を上げたショーンに、セレストは満足そうに微笑み返す。
「ショーン先生は、自身の悪いところばかりを見すぎです。自分で決められたことを、きちんと守ることができる方ですのにね」
「え……でも、基本的に悪人ですし……」
褒められる以上に、罵られることをしてきた自覚はある。
そんな罪悪感から、ばつが悪そうに視線を逸らせば、セレストはきょとんと目を瞬かせて。
「……ふふっ、本当に素直ですのね」
可笑しそうに笑った。
fin.
2019/05/16
