感情とマフィン
感謝祭で浮き足立った空気の学院内を、ミュリエルは歩く。いつもと変わらない景色も、漂う空気が違うだけで違うように見えるのだから、世界とはとても不思議なものだ。
図書館で借りた数冊の本と一緒に抱えた包みから香る甘い匂いに、少し深く息を吸い込む。
淡い水色の可愛らしい包みの中身は、午前中に組み込まれていた製菓の時間に作ったお菓子だった。簡単だからと周りに勧められて挑戦したのは、チョコレートマフィン。目立って難しい工程もなく、初心者のミュリエルでも綺麗に焼き上げることができた。
学院で感謝祭を迎えるのは二度目だが、昨年は何をしていたのか記憶にない。少なくともお菓子を作った覚えはないから、その日は授業に出なかったのかも知れない。
「……はじめて作った、お菓子」
そっと声に出してみれば、不思議な感覚だ。自分でお菓子を作るなんて、考えたこともなかった。
しかし、作ったはいいが困惑もある。周りに促されるままにひとつだけ綺麗な紙で包んだが、具体的にどうするかまでは考えていなかった。自分で開けるのは少し勿体ない気がして、リトヴァに渡そうとしたものの、包んだものは受け取って貰えなかった。
所在なげにリボンが揺れる包みを抱え直して、渡り廊下を進む。遠くの景色に目をやりながらゆっくりと歩いていると、何人かの女子生徒がミュリエルを追い抜いて、慌ただしく走っていく。何事だろうかと少女たちの背中を目で追えば、向かいから歩いてくる人物と目が合った。
「……こんにちは、ルビーさん」
思わずといった様子で立ち止まった相手──フォエルビーの前で、ミュリエルも足を止める。
「え!? あ、うん、こんにちは!」
どこか落ち着かない様子のフォエルビー。そもそも渡り廊下を歩いていたということは、何処かへ向かう途中だったのだろう。もしかしたら、急いでいたのかも知れない。罪悪感から少し足元へと視線を落とし、引き留めてしまったことを謝ろうと再び顔を上げる。途中、フォエルビーの手元に目がとまった。
彼が手にしているのは、少し大きめの紙袋。縁から覗く色とりどりの可愛らしい包みは、感謝祭の贈り物だろうか。学院の武術部長を務めるフォエルビーの交友関係は広いだろうから、きっとたくさんの人から貰うのだろう。
そんなことをぼんやりと思えば、ミュリエルの視線に気付いたのか、フォエルビーが慌てた様子で口を開く。
「これは!その…なんというか……!守護司令部の付き合いとかで、貰ったり……?」
必死に弁解するフォエルビーに、不思議そうに首を傾げるミュリエル。フォエルビー自身も何を弁明したいのかよくわかっていないのだろう。言い切らないうちに、つられるように首を捻る。
「ま……まぁ、感謝祭だし!義理とか日頃のお礼とか、そんな感じで!」
強引に話をまとめたフォエルビーが発した言葉。その中に頭に残る単語を拾って、思わずミュリエルは繰り返す。
「日頃の、お礼……」
感謝祭は、その名の通り感謝を伝える日である。せっかくお菓子を作ったのだから、世話になっている男の子に渡したらどうかと提案してきたリトヴァの言葉を思い出して、自分の腕の中にあるマフィンの包みに視線を落とす。
「……………」
美味しく、焼けていると思う。焼き上がった直後、試食をした同級生たちが言っていたから、そうなのだろう。自分では、よくわからなかったけれど。
「……あの、ルビーさん。よければ、これ、受け取っていただけませんか?」
ミュリエルが抱えていた包みを差し出せば、フォエルビーは驚いたように目を見張って、固まる。そのまま数秒待ってみるも、動く気配はない。
「ルビーさん……? いらなかったら、断ってくださっても」
「いや、違っ、嬉しいけど……!その……俺が貰っていいの?」
慌てたように首を振り、照れたように頭を掻くフォエルビーに、ミュリエルは頷く。
「いいんです。ルビーさんに食べてもらえたら……いいなって、そう思いました」
素直に告げれば、フォエルビーは目を瞬かせて、動揺したように視線をさ迷わせる。それでも最終的に目を合わせて、ありがとう、と笑顔を返されれば、胸の奥がほんのりとあたたかい。
「……こちらこそ、いつも、ありがとうございます」
同時に覚えた泣きたいような感情には、気が付かないふりをして、いつも通りに微笑んだ。
fin.
2019/01/14
thanks!!
⇒フォエルビー(翡奈月あみ さま)
