掴みかけの恋
──あぁ、やってしまった。
保育科の教室へと戻るカレンが見えなくなるまで見送って、トゥーリは絵本を手にしたまま、本棚の前にしゃがみこむ。自分の頬に両手を添えて、優しく微笑んだカレンの表情が胸に痛い。
気を遣わせてしまった。彼女に子供がいたことに、自分は気付いていたはずなのに。
他人の過去の話題は慎重に扱うべきだ。いっそ触れない方がいいとすら思って、頭に入れていたはずだった。世界中から人が集まるこの学院では、重い過去を抱えている教師も生徒も少なくはないのだから、と。
自分の浅慮にため息を吐いて、肩を落とす。力の抜けた手から、絵本がするりと──上へ、抜けた。
「盛大なため息ですね、トト先生。幸せも裸足で逃げ出しそうです」
「……シウォン先生」
本を追うように上げた視線の先にいたのは、同じ武術科教師であるシウォン。トゥーリの手から取りあげた絵本を一瞥し、そのまま本棚に戻す。
「シウォン先生。心配してくれるのは、嬉しいですが……今は放っておいてくださると……」
「え、心配していると思ってるんですか?」
「それはちょっとひどいです!!」
思わず立ち上がれば、唐突に肩に手を置かれて、動きを止める。
「……な、なんでしょうか」
いつもの笑顔ではなく、どこか怪訝そうな表情のシウォンに顔を覗き込まれて、逃げ腰のまま後退りしようとするトゥーリ。対するシウォンは数秒の後、何かに納得したように頷いて、いつも通りに笑う。
「体調が悪いわけでは、ないようで」
安心しました、と素直に告げられて、トゥーリは拍子抜けしたような、困惑したような表情を浮かべる。その肩に置いていた手を、シウォンは上げてひらりと振った。
「お邪魔したようなので、俺はこれで退散しますよ」
そう踵を返したシウォンの腕を、反射的にトゥーリは掴む。自分でもわかるくらいの情けない表情を見られたくはなくて、伏せたままの顔では、振り返ったシウォンがどんな様子かはわからない。
呆れられてしまったかも知れない。放っておいて欲しいと、最初に言ったのは自分なのに。
けれど。
「……………もう、少し」
絞り出した声は自分で思ったよりもか細くて、あまりに子供じみている。これでは、まるで子供の我儘のようだ。
わかってはいるのに、静かで広いこの空間に、一人きりでは居られなくて。
「やっぱり、もう少しだけ、ここにいてください……」
再びしゃがみこむと同時に、掴んでいたシウォンの腕から手を離す。泣き出しそうな顔は膝に埋めて、弱音を吐きそうな口も閉じて。ただ、じっと。黙ったまま動かないトゥーリに、頭上でシウォンが嘆息するのがわかる。
それでも、去ってはいかない彼の気配に、何故だろうか。
どうしようもなく、安心した。
fin.
2019/01/18
thanks!!
⇒シウォン(翡奈月あみ さま)
