神の涙で満ちた箱庭



笑顔の咲く恋の話


 始業時間前の、まだ清々しい早朝の気配が残る時間帯。高等部の教室が並ぶ廊下を、シャーリーンは歩いている。
 リゥシャオに頼まれていた繕い物を届けにきたのだが、朝に弱い兄の姿は当然のように教室にはなかった。そこで目に入ったのは、既に着席して教科書に目を通していたキリン。最近、何かとリゥシャオが気にしている彼女とは、シャーリーン自身も知らない仲ではない。荷物を渡してくれるように頼めば、戸惑うような表情を見せながらも頷いてくれた。

「ふふーん、我ながらナイスアシスト!」

 物静かそうなキリンが、リゥシャオに話し掛けるきっかけを作ることが出来て、少し良いことをした気分だ。
 リゥシャオはキリンのことをクラスメイトだとしか紹介していないが、二人の間には絶対に何かが起こると、乙女の勘が告げていた。具体的に何があるかまではわからないが、恋愛的な何かだとシャーリーンは決めつけている。だって、その方が楽しいし。
 足取りも軽く自分の教室へと歩を進めれば、向かいから見知った顔が歩いてくることに気が付いた。

「おはようございます、エメ先輩!」

「あ、シャルちゃん!おはようございます」

 笑顔で手を振れば、明るく挨拶を返してくれるのは、選択科目の斧術の授業で仲良くなった高等部の先輩であるエメ。魔術科の中で斧術を選択している生徒、しかも女子となると数が少なく、何度か同じ授業を受けるうちに自然と言葉を交わすようになった。
 良いところのお嬢様と聞いて最初こそ身構えたが、あっけらかんと「没落してるんですよねー」と笑顔で口にする姿がいっそ好ましい。

「エメ先輩は、朝早いんですね!」

「シャルちゃんも早いじゃないですか」

「今日はたまたま用事があったので……あ、エメ先輩。リボン曲がってますよ?」

 他愛のないやりとりの最中、視界に入ったのはエメの顔の横で留められた緑のリボン。左右対象に結われているはずだが、片方のリボンの結び目が、ほんの少し不自然な方を向いていた。
 シャーリーンに指摘されたエメは特に慌てる様子もなく、そっと曲がったリボンに手を添える。

「これですか? これは」

 ──わざと、です。
 どこかいたずらっ子のような笑顔を浮かべて、エメが小さく囁いた。言葉の意味を図りきれずに、シャーリーンは首を傾げる。と。

「エメ」

 落ち着いた声で名前を呼ばれて、エメが視線をシャーリーンの背後へ向けた。つられるように、シャーリーンも振り返る。

「イレ!おはようございます!」

「イレール先輩、おはようございまーす」

 立っていたのは、武術科高等部の先輩であるイレール。笑顔で挨拶をするエメの横でシャーリーンも頭を下げれば、丁寧な会釈を返された。流石は良家の使用人、と素直に感心してしまうような所作だ。庶民育ちのシャーリーンとしては、少しむず痒い。
 そんな慣れない居心地の悪さを感じるシャーリーンの前で、顔を上げたイレールはエメに向き直り、呆れたように口を開く。

「エメ、リボン曲がってるぞ。ほぼ毎朝言ってるのに、なんで直らねーの?」

「それはですね、なんででしょうね〜?」

 イレールの小言に首をひねりながらも、こっそりと笑みを見せるエメに、シャーリーンは理解した。
 なるほど。わざと、とはこういうことか。

「……直してやるから、こっち来い」

 ため息混じりに手招きをして、踵を返したイレール。はい!と元気よく返事をしたエメが、一歩踏み出して振り返る。

「それでは、シャルちゃん。よい一日を!」

 イレールを追い、駆けていくエメ。その後ろ姿をしばらく見送って暫く、シャーリーンは呆けていた。目の前で交わされたやりとりを反芻しながら、立ち尽くす。

「……な、な、な、」

 両手を、胸の前でぎゅっと握る。

「なに、あれ!!!」

 すごい。よくわからないが、どきどきした。
 いわゆる、今のは《恋愛のテクニック》というやつではないだろうか。扇情的や誘惑といった背伸びしたテクニックではなく、相手を完全に理解した上での必殺技といった感じの、効果が高そうなやつ。
 そんなアプローチの仕方もあるのかという驚きと感動で、シャーリーンのテンションは早朝にも関わらずだだ上がりだ。感動という表現が正しいのかは、知らないけれど。
 どきどきとわくわくで逸る気持ちを抑えながら、シャーリーンは再び廊下を進む。
 ひとまず、この心境を誰かと共有したい。すごいとか羨ましいとか、とりあえず、この胸の高鳴りを共感したい。

 幸せな恋の話はいつだって、楽しく笑顔になれるものなのだから。





fin.
2019/04/18

name thanks!!


⇒キリン(翡奈月あみ さま)

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