窓際のサイレントローズ
彼女と初めて出会ったのは、学院に教師としての採用が決まってすぐのこと。
新任教師の揃った研修会場の隅に佇む彼女は、明らかに浮いて見えた。新しい職場に気分が高揚している者、緊張している者、落ち着いている者。会場内の人々の様子は各人各様だったが、うつむいた彼女は何かを我慢するような無表情。とてもではないが、普通の状態だとは思えなかった。
具合でも悪いのだろうか。そう思って声をかければ、大丈夫です、と彼女は笑った。浮かべた笑顔に隠しきれない哀しみと、深い疲れが滲んでいるのを見て、自分の行動が軽率だったことを悟る。
彼女が浮いていたのではない。自分の目が、彼女の表情を敏感に拾ってしまっただけだ。今の彼女の表情は、いつか鏡の向こうで見た自分の表情に、よく似ていた。
ご心配をおかけしました、と丁寧に頭を下げる彼女に微笑み返しながら──酷く苛立ったことを、はっきりと覚えている。
「クラハ先生」
紅い髪を風に遊ばせながら窓辺に佇む彼女に、セレストはそっと声を掛けた。窓から見下ろせる運動場には、昼休みという時間帯もあって、子供たちの賑やかな歓声が響いている。
「セレスト先生、どうかしましたか?」
「特に用事があったわけではないのですが……お邪魔でしたでしょうか?」
「いえ、そんなことは」
窓枠に手を置いたまま振り返ったクラハに控えめに告げれば、彼女は少し驚いたように首を振る。
そういえば、セレストの方からクラハに話し掛けるときは、用事を持っていくことが多かっただろうか。流れで歓談をすることも多いせいか、あまり意識をしてはいなかったが。
「せっかくですので、お隣よろしいでしょうか」
「もちろんです」
少し身体をずらしてくれたクラハと共に、開いた校舎の窓から外を眺める。
遮られることなく続く青い空の下、広がる運動場では生徒たちが思い思いの遊びに興じている。駆け回る彼らを見守るように、教師の姿もちらほらと見受けられるが、それは決して危険から守るためではない。生徒が危険なことをしていないか、怪我をするようなことがないかを気にかけてのこと。
この瞬間、眼下に広がる空間は、平和そのものだ。
「……本当に、ここは穏やかで素敵な場所ですね」
呟いたセレストへ同意するように頷いて、クラハは笑う。その笑顔は、未だに癒えない哀しみの色を滲ませていたが、目に見えて明るい。生きることを躊躇うような疲れた色は、この数年ですっかり見えなくなった。
セレストの視線が自分に向けられていることに気が付いて、クラハは不思議そうに首を傾げる。
「あの……わたし、変な顔をしていましたか?」
クラハの問い掛けに、いいえ、とセレストは首を振った。少しだけ迷うように目を伏せて、ただ、と口を開く。
「クラハ先生が綺麗に笑ってくださることを、嬉しく思ったのです」
それは、隠した素顔から僅かに覗かせることのできる、セレストの本心。
数限りない選択肢の中から前向きな道を選び、諦めることなく進んで、笑えるようにまでなった彼女の強さを眩しく思う。
「……心配を、かけてしまったでしょうか」
「何のことでしょう?」
困ったような笑顔を見せたクラハに、いつものように、鈍感なふりをして微笑み返す。
初めてクラハに声を掛けた日から、ずっと気が付かないふりをしてきた。彼女の祈りも懺悔も、セレストは何一つ聞いていない。取り繕った顔で吐き出す言葉など、何の慰みにもなりはしないからと、自分自身に言い聞かせて。
きっと、本当は恐れていたのだ。自分の言葉が届かずに、彼女が諦めてしまうことを想像して。自分のように、死にたいと思いながら生きる道を選んでしまう可能性を。
美しくなった彼女の姿を喜ぶ資格を、セレストは持たない。傍観していた自分に、その権利はない。
ただ、その笑顔を綺麗だと伝えるだけならば。
「……許されるのではないかと、思ったのです」
口の中で小さく呟いて、セレストはそっと目を閉じた。
fin.
2019/05/26
thanks!!
⇒クラハ(翡奈月あみ さま)
