神の涙で満ちた箱庭



理に負けて非に勝て


 ミュリエルの交友関係が広がることは、シェイにとって歓迎すべきことである。
 監察役の軍人としても、学院の先輩としても、喜ぶべきことだ。同時に、他人でしかない自分が口を挟むことではない、ということも弁えている。
 しかし、彼女の精神状況は複雑だ。現状、交流するのであれば、最低限の配慮をしてくれる──彼女の事情には触れず、純粋に友人として接してくれる相手が望ましい。ましてや、知的好奇心に任せて質問責めにしかねない相手など、出来る限り近寄らせたくないというのが個人的な本音である。

「だからさ、諦めよう? な?」

「何が『だから』なのか、俺には理解しかねるのだが」

 静粛な雰囲気ながら、数多くの生徒が出入りする放課後の図書館。
 その片隅でシェイが諭すように肩を叩けば、近寄らせたくない相手──シザーリオが不思議そうな視線を投げて寄越す。まさか事実をそのまま伝えるわけにもいかず、濁した説明をしたのが仇となったのか、納得してはくれなかったようだ。

「お兄さんのことを彼女に直接訊ねられると、不都合が起きる可能性があるって話。亡くなってるんだから、色々と思うところもあるだろ?」

 感情論で説明してみるが、言動が不可思議なこの後輩は、事実と感情を完全に分けて考えている節がある。きっと理解はしていないだろう。現に、不可解だと言わんばかりの表情で、首を傾げている。

「お前としては不本意だろうけど、知りたいことがあるなら、ひとまず俺を通そう。な?」

 多少の刺激はきっかけになるが、与えすぎれば毒にしかならない。不用意な刺激を与えて地雷を爆発させるような事態は絶対に避けたい。
 だからといって、聞くなというのは酷だろう。本来であればシザーリオとミュリエルの間で折り合いをつける問題に、監察役という肩書きで無理やり首を突っ込んでいるのだから、過度な制限をしたくないという思いもある。せめて自分が質問を取捨選択し、ミュリエルの精神面に影響のあまりない質問だけに絞ることが、今できる最大限の譲歩なのだが。

「なぜ、ミュリエル・カルディコットと話をするのに先輩を介する必要が? 情報伝達の間に人を挟めばその人物の主観が入り、情報の精度が落ちることは多くの先人の失敗が物語っている」

 予想していたこととはいえ、理路整然とした正論が返ってきた。

「……そういえば、シザーリオの母君はオフィーリア先生だったな」

「母と同じ枠で語られるのは些か心外だが、血縁者であるという点は否定する要素のない事実だな」

 蛙の子は蛙、口が立つ人の子供は口が立つということだろうか。感情を加味して考えてくれる分、親の方が話が通じると言える。腕を組んで、ため息を吐く。

「よし、わかった。取り引きをしよう」

 相互理解が不可能であるならば、決まりを設けるのが手っ取り早い方法だ。あまり使いたくない手段ではあるが、致し方ない。

「俺の職務上、事件については報道されなかった情報も持ってる。答えられることであれば俺が答えよう」

 事件の客観的事実であればミュリエルに訊ねるまでもなく、シェイの頭の中に入っている。もちろん、全てを話すわけにはいかないが、世間に流れた情報よりは遥かに正確で詳細だ。
 シザーリオも『軍の情報』には興味があるのだろう。ふむ、と頷いて先を促す。

「代わりに、この事件については、俺が許可をするまでミュリエルに直接訊ねないこと」

「先輩は軍人だろう? 守秘義務は大丈夫なのか?」

「心配してくれるなら、いっそ何も訊かないで欲しいけどな!」

 秘匿情報を隠したままシザーリオの知的好奇心を満たすことは、きっと骨の折れる難題だろう。考えただけで頭が痛い。
 しかし、シェイの自己犠牲的な提案自体は、シザーリオを納得させるものだったようだ。少し考えて、最終的には頷いた。

「了解した。ミュリエル・カルディコットに兄君のことを訊ねるのは、もう少し先にすることにしよう」

「そうしてくれ……ほんと」

 自分の預かり知らぬところで監察対象の地雷を踏み抜かれる危険を回避することに成功し、シェイは安堵の息を吐く。だが安心は束の間。シザーリオの次の言葉に顔をひきつらせた。

「ところで、これから時間はあるだろうか」

 肩を掴まれて、一歩、詰められる。

「後学のために『オーレリアの惨劇』に於ける事件の発生日時と場所と概要、精神分析医などの専門家による所見を詳しく聞かせて貰いたいのだが」

「後学のため……?」

 殺人の足跡を辿って何を得るつもりなのだろうか、この後輩は。
 そんなシェイの疑問は、口から出ることなく遮られる。

「やはり、あのような行為を実行してしまう精神状態というものは特殊な事例だと思うのだが、話を聞く限りでは当人は非常に冷静かつ計画的な行動をとっていたと聞いており、何を以て特殊であったのか自分としては非常に興味が」

 無表情に淡々と、目の色だけは真剣に、シザーリオは喋り続ける。彼特有の、論理的でありながら耳馴染みの悪い文章的な喋り方に加えて、早口で捲し立てられて内容の半分も頭に入ってこない。
 目眩のしそうな言葉の羅列に、シェイは思わず額を押さえる。

「……とりあえず、座って話そうか」

 しっかりと自分の肩を掴む手を振りほどくことも出来ずに、シェイは静かに覚悟を決めた。





fin.
2021/05/31

神の涙で満ちた箱庭
七つの水槽