神の涙で満ちた箱庭



野良猫とクッキー


 普段の出勤時間より少し早い、早朝と言って差し支えない時間帯。武術科が鍛錬に使う運動場はともかく、未だ校内には人気がほとんどない。
 そんな静かな空間にパタパタと足音を響かせて、小走りに廊下を進んでいたルシルは、医務室の前で立ち止まった。軽くノックをしてからドアを開けば、見覚えのある黒いコートが目に入る。ベッドに横になったまま微動だにしないその人に、出来るだけ静かに近付けば、規則正しい寝息が聞こえてくる。
 珍しいなと思いながら暫く様子を伺い、そっと頭に手を伸ばしてみれば、触れる寸前で手首を掴まれた。少し驚いて視線をずらすと、いつの間にか開いていた紅眼と視線が合う。

「……朝っぱらから何しやがる」

「あ。おはようございます、カーディナル先生」

 不機嫌そうに唸ったカーディナルに、呑気に挨拶をするルシル。押し戻された手を大人しく引いて、上体を起こすカーディナルをじっと見つめる。
 一向に自分から外される様子のない視線に、カーディナルが鬱陶しげにルシルを見やれば、遠慮がちに口を開いた。

「あの、カーディナル先生……頭、」

「断る」

 撫でさせて下さい、と続くのであろう台詞を、カーディナルは最後まで聞くことなく拒絶した。そうですか……と心底残念そうに呟くルシルに、もはや溜息しか出てこない。

「……あの医者ならいねぇよ」

 体調不良でも怪我をしている様子でもないルシルがわざわざ医務室までやってきたことから、普段から医務室に居る教師に用事でもあるのだろうと踏んだカーディナル。煙管をくわえながら、そう呟く。
 何処にいるかは知らないが、少なくとも医務室では見かけていない。そもそも、居たらこんなところで休んではいないが。
 脈絡のないカーディナルの言葉に、きょとんとしたような顔をしたルシルは数秒置いて、合点がいったのか首を振った。

「あ、いえ。ナギ先生じゃなくて、カーディナル先生を探していたんです」

 その発言に怪訝そうに顔を上げたカーディナルの目の前に、ルシルが何かを差し出す。

「クッキーを焼いたので、どうぞ」

 ルシルの言葉と手の中にある薄桃色の小包に、今日が感謝祭であることを思い出した。そういえば、そんな行事もあったかと記憶を探りながら差し出された包みを見ていたが、行事の形式を思い出して視線を外す。

「返すのがめんどくせぇ」

「別にお返しとかいりませんよ?」

 いつも通りにほわほわと微笑みながらも、ルシルが手を引っ込める様子は全くない。そのまま三十秒ほど沈黙してみても、不思議そうに首を傾げるだけだった。

「………はぁ」

 溜息のように煙を吐き出したカーディナルが大人しく手を差し出せば、その上に小包を乗せてルシルは満足そうに笑う。

「じゃあ、私は職員室に戻りますね」

 お邪魔しました、と軽く手を振り、ルシルは扉の向こうへ姿を消す。
 遠ざかっていく足音が完全に聞こえなくなった頃、カーディナルは手元に残った小包を一瞥して枕元へと放った。静かなうちにもう一眠りしようと身体を倒せば、その振動に頭の近くで小包が跳ねる。
 ほのかに香ったクッキーの匂いに、少しだけ面倒くさそうに顔をしかめ、カーディナルは目を閉じた。





fin.
2011/08/30:公開
2019/01/14:修正

thanks!!


⇒カーディナル(翡奈月あみ さま)

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