神の涙で満ちた箱庭



空の涙滴


 しとしと、しとしと。

 見慣れた景色を雨が濡らしていく中、フォエルビーは急ぎ足で自分の教室へと向かっていた。羽織っている上着が私服であることからもわかる通り、今日は休日である。
 フォエルビーとて、好き好んで校舎に居るわけではない。課題を教室に忘れるという痛恨のミスさえ犯さなければ、寮の自室で安穏とした時間を過ごせていたはずなのだ。お蔭で、多少とはいえ雨に濡れるはめになってしまった。
 なるべく早く帰ろうと心に決めて、小走りに歩を進める。が、決心して間もなく、足を止めることとなった。
 渡り廊下へと出たことで開けた視界に、ふと何かが引っ掛かる。思わず視線を向けた先には、生徒数に見合った広い運動場。
 その隅に、少女が佇んでいた。

 ミュリエル・カルディコット。

 最近、フォエルビーが無意識に目で追っている彼女は、小雨が降る中、立ち尽くしていた。傘もささずに、ただ上を見上げて──まるで迷子のように。
 引き寄せられるように、フォエルビーは一歩踏み出す。雨の中、濡れた地面に足をつけば、ぱしゃんと小さく水が跳ねた。
 水音に反応して、ミュリエルが振り返る。フォエルビーと目が合えば、いつも通りに薄く微笑んだ。

「こんにちは」

「え……? あ、こんにちは……」

 自分から近付いたというのに、いざ対面すれば、かけるべき言葉を持っていないことに気が付く。言葉に迷って、フォエルビーは頬を掻いた。

「えっと……何してるの?」

 迷った末に口から出たのは、素直かつ率直な疑問。こんな天気の悪い日に、どうしてこんな場所に立っているのか。
 フォエルビーの問いかけに、ミュリエルは表情を変えず、少し首を傾けた。

「空を、眺めていました」

「空?」

「はい、空です」

 頷いて、視線を上へと戻したミュリエル。つられるようにフォエルビーも視線を上げる。暗雲に覆われた空は暗く、見ているだけで気が沈みそうな光景だ。
 黒い空は広く重く、見上げる少女はあまりにも小さい。今にも空に呑まれてしまうのではないかと錯覚して、反射的にその手を掴んだ。

「どうかしましたか……?」

「え? あ、いや、これはっ……!」

 ミュリエルの不思議そうな視線に、自分のとった行動を自覚して、顔が火照る。手を離そうと意識すれば、握った手首の冷たさに気が付いた。
 弱くもない雨の中、いつから佇んでいたのだろうか。水色がかった長い銀髪は水が滴るほどに濡れていて、決して短い時間ではないことがわかる。

「あのさ、風邪ひくから。屋根の下に移動した方が……」

 事実、この短時間でフォエルビーの服も目に見えて濡れていた。かろうじて表面だけで済んでいる自分はともかく、隣に立つミュリエルは既にずぶ濡れという表現が正しい。放っておけば確実に風邪を引くだろう。
 少し強引かとも思ったが、そのまま手を引いて歩き出す。フォエルビーに引かれるままに歩を進めながら、ミュリエルの視線は再び空へと注がれていた。

 たどり着いた屋根の下。フォエルビーは少し悩んだ末に、着ている上着をミュリエルの肩にかけた。彼女の身を包む黒いワンピースは素肌に張り付き、控えめながらも綺麗な曲線を描く身体のラインを浮かび上がらせていて、正直、視線のやり場に困った結果とも言える。
 この後をどうしたものかと額を押さえるフォエルビー。その耳に、ふいに、小さな呟きが届く。

「……空は」

 空に向けられていたミュリエルの視線がフォエルビーへと移り、不思議そうに首が傾いた。

「どうして、泣くのでしょう?」

 髪から落ちる水滴が、頬を滑る。
 白い肌を伝うそれは、まるで涙のようで──思わず、フォエルビーは手を伸ばした。





fin.
2012/10/10:公開
2019/05/18:加筆・修正

thanks!!


⇒フォエルビー(翡奈月あみ さま)

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