Crack Clock



残酷な世界に愛を


 ホスティア誓教会の中枢である《中央アダムス大聖堂》。
 その最奥──聖域と呼ばれる区画にある部屋でコーヒーカップに口をつけるニコラスは、視線を手元から外さないまま口を開いた。

「……さっき」

 静かな部屋にぽつりと落とされた声に、向かいに座るイヴが手元の本から顔を上げた。その気配に、ニコラスも視線をイヴへと移す。

「自分の代わりに裁断者にならないかって言われた」

「イェルドに、でしょうか?」

「そう」

 不思議そうに首を傾げられて頷き返せば、そうですか……と呟くイヴ。伏せられた黒い瞳は限りなく澄んでいて、感情を読み取ることは出来なかった。

「イェルドが離れて行くのは寂しいですが、この世に於いて、別離は抗えぬ運命(さだめ)でしょう」

 憂いた表情でそう続け、直ぐにニコラスへと微笑みを向ける。

「然れど、悲観することはありません」

 例え別れが辛くとも、後にやってくる出逢いは素晴らしいことなのだ、と。
 そう告げるイヴの視線が、貴方のことだ、と言外に告げる。逃げるように目を逸らして、ニコラスはコーヒーの水面をスプーンで揺らした。

「大袈裟だよ」

「いいえ、ニコラス。出逢いと別れは秩序なのです」

 ゆっくりと首を振るイヴは手にした本を閉じ、いつも通りの穏やかな口調でニコラスへと問いかける。

「ニコラスは、どうしたいのです?」

 暗く澄んだ瞳に見つめられて、手を止める。

「……僕?」

 えぇ、と頷いたイヴは急かすことなく、ただニコラスへと優しい視線を注ぐ。黙ったニコラスは、手にしたスプーンで褐色の液体を遊ばせながら、生まれる波紋を目で追った。
 この世界は、綺麗でもなければ優しくもない。ちっぽけな人間に何も与えてくれはしないし、大切なものは容赦なく奪い去っていく。
 それでも──。

「これが貴女の愛する世界だと言うのなら、愛してもいい」

 そうはっきりと言い切ったニコラスに、イヴは綺麗に微笑んだ。

 平等で理不尽なこの世界。
 そこに彼女が存在し、慈愛を満たして微笑むならば──行く宛てのない自分の愛を、この残酷な世界に捧ぐ。





fin.
2012/04/11 公開
2018/10/18 修正

Crack Clock
七つの水槽