掌と笑顔〈The Past〉
「テンちゃんは、僕が嫌いだよね」
いつも通りの呑気な笑顔で、唐突にそんな言葉を口にしたのは、8時の時計保持者であるエンシオ・サロヴァーラ。そんな彼に対面するテンは手元の本から顔を上げ、未だあどけないという形容詞の似合う顔を僅かにしかめる。
そして、首を横に振った。
「……別に」
確かにテンは、先代の保持者であるサクヤの能力を継いだエンシオのことが好きではない。
歴代8時の保持者の中でも抜群の適合性を見せ、高い能力を有していたサクヤ。一方のエンシオは適合性が低く、視認すら満足に出来ない。加えて体力もなく、運動神経も今一つ。サクヤを優等生と例えるならば、間違いなく彼は劣等生だった。
しかし、その明るくて素直な人柄からエンシオは誰からも受け入れられていたし、テンも少なからず好感を持っている。
嫌いではない。ただ、妬ましいのだ。
父親を知らず、母親の命と引き換えに生まれたテンにとって、サクヤは親に等しい存在だった。読み書き、礼儀作法、戦闘技術や話術に始まり、彼の故郷である東国の言葉まで。サクヤは自分の持てるものを、テンに惜しみなく与えてくれた。サクヤが命を落とした時も、遺品は当然のようにテンに渡された。
そんな自分が唯一手に入れることの出来ない、サクヤの持っていたもの。それを受け継いだのは、当然のようにサクヤと面識すらないエンシオで。
どうにもならないことだと大人びた頭で理解していながら、どうして手に入らないのかと幼い心が癇癪を起こす。
黙りこくるテンに、エンシオは特に何も聞くことはなく、よかった、とだけ笑った。
「嫌われてるのかと思ってたよ」
言葉と共に頭に乗せられたエンシオの手を軽く払い、テンは手元の本へと視線を戻す。
「別に……僕は大した理由もないのに、人を嫌いになったりしない」
そう呟いた自分の言葉に、いつかのサクヤを思い出す。『嫌いなところを探すより、好きなところを探した方が楽しいよね』──と。
そう言って笑ったサクヤと似たような、周りを安心させる微笑みを、エンシオは浮かべている。
「サクヤさんって、テンちゃんみたいな人だったんだろうね」
再び頭に乗せられた、エンシオの手。面倒くさい、を言い訳に、今度は払うことはしなかった。
fin.
2012/05/19 公開
2018/10/18 修正
