今や遅しと



狸奴(りと)の影追い


「ねぇ、依終」

 十夜が名前を呼べば、目の前に座る依終が顔を上げる。
 依終は十夜の姪にあたるが、お互いにあまり実感はなかった。そもそも叔父である十夜の方が一ヶ月ほど年下である。
 何ともややこしい関係だ。そんなことを考えながら依終の顔を眺めていれば、首を傾げられた。卓に乗せられていた依終の手を、十夜は両手で握る。

「依終、高校卒業したら俺と結婚しようよ」

「なんで?」

「依終がスキで仕方ないから」

「わー、嘘くさい言葉をありがとう」

「嘘じゃないのにー」

 酷いなぁ、と笑う十夜に傷付いた様子は全くない。依終も本気ではないことを了解済みなのか、対応が目に見えてテキトーだ。
 握った手を依終に軽く左右に揺らされれば、十夜の手もゆらゆらと揺れる。
 そんな無意味な行為を楽しんでいれば、ふいに繋いだ手を上から掴まれた。

「十夜みたいな性格のひねくれた人間に、依終は嫁がせないからね」

「あ、依散ー」

 割り込んだ依散の手によって、十夜は依終から剥がされる。つまらなさそうに口を尖らせて、口を開いた。

「依散ってば、冗談通じないんだから。筋金入りのシスコンだよねー」

「それほどでも」

 にっこり笑う依散に、十夜は大人しく手を自分の膝に戻す。そのまま膝を立て、立ち上がった。

「さて、と……」

 急に背を向けた十夜を、よく似た二つの顔が不思議そうに見上げる。

「十夜、帰るの?」

「いや? ちょっとそこまでー」

「もうすぐ夕飯の時間だよ?」

「食堂は人が多いからきらーい」

 順に、依終と依散に尋ねられて、いつも通りにテキトーな答えを返す。きちんとした返事をしないのは、毎度のこと。二人もそれ以上は追及して来なかった。
 ただ、依散が呆れたように息を吐く。

「……十夜って野良猫みたいだよね」

「だよねー。気分屋だし、警戒心強いし、ふらふらしてるし」

 兄に同意するように、依終も首を縦に振った。
 そんな二人を振り返り、十夜はいつも通りの笑顔を浮かべる。

「依終にだったら、飼われてあげるよ?」

「いってらっしゃい」

「気をつけてねー」

 手のひらを返したように送り出してくれる二人に苦笑して、部屋を出た十夜。自分の部屋に戻ることなく、学園の敷地から出て道を進む。

 仄かに橙色に染まり始めた空の下。
 特に目的地もなく、ただゆらゆらと。

 目の前に伸びる自分の影を追い、気の向くままに歩を進めた。





〈了〉
2012/08/27:公開
2012/08/30:修正


thanks!!
⇒千羽依終(閏宮さま)

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七つの水槽