今や遅しと



被服色彩論


 百鬼 八代は困っていた。いや、慣れない状況に戸惑っている──という表現が正しいのだろうか。
 八代が居るのは、壁一面に色とりどりの布地の山を形成する空間。大和学園工業科に付随する縫製室。工業科の中でも華道を専攻する八代にとって、普段は近寄ることのない場所である。と言っても、今だって特に用事があるわけではないのだが。
 部屋の中央に座らされている八代は、自分に背を向けて布地の山を物色している人物──一之瀬 てまりに視線を向ける。八代が縫製室に居る原因である彼女は、先程から布地を引っ張り出してきては八代に合わせ、考え込んでは再び布地を選ぶことを繰り返していた。

「あの……」

「はいはい、何? 八代ちゃん?」

 控えめに声をかければ、てまりが振り返る。
 その手には可愛らしい柄の布地がざっと両の手指ほど。思わず吐き出しかけた溜息をぐっと堪える。代わりに疑問を吐き出した。

「状況が呑み込めないのですが……」

 控えめにそう訊ねた八代に、てまりはきょとんとしたように首を傾ける。

「あれ、言ってなかったっけ?」

「聞いていません」

「そっか、ごめんね。頭の中がいっぱいで、うっかりしてた」

 少し困った様に笑いながら、八代の前に腰を下ろすてまり。八代と視線を合わせると、気を取り直すようににっこり笑う。

「今度、授業で作品提出があるんだけど、八代ちゃんに合わせて作らせて貰おうと思って」

「………聞いていません」

 ──ちょっと付き合って!と。
 顔を合わせるなり半ば叫ぶように口を開いたてまりに、引きずられるようにして寮を出たのが30分程前のこと。連れて来られたこの部屋で、それから何種類もの布地を合わせられた。
 その時点で何となく予想はついていたが、改めて言われると羞恥心が煽られる。狼狽する八代に再び手際よく布地を合わせながら、てまりは続ける。

「八代ちゃんみたいな大和撫子が、私の理想とぴったりだったの」

「……大和撫子?」

「そう!」

「それなら私ではなくても……他にいますよ。五家宝さんとか」

 自分はお世辞にも愛想がいいとは言えないし、被写体にするのであればもっと華のある人間を選んだ方がいいのではないか。そう言外に示唆すれば、間髪入れずに否定される。

「そりゃあ時子ちゃんだって清楚で可愛いし、いずれは着せ替えしたいなーとは思ってるけど。八代ちゃんと時子ちゃんの可愛さは別物なの! 例えるなら……そう、桜と桃!」

「そ、そうですか」

 力説するてまりに反論する余地はなく、思わず大人しく頷いた。とりあえず、彼女の中では根本的に違うのだろう。
 だが、しかし。

「それとこれとは話が……」

 別です、と。言いかけた八代をてまりが制する。

「立っててくれるだけでいいの、人助けだと思って!」

 お願い!と両手を合わせられれば断ることなど出来るはずもなく、八代は遮られた言葉を呑み込んだ。
 代わりに、ほんの小さな溜め息をひとつ。

「……愛想は、期待しないで下さい」

 最終的に首を縦に振った八代に、てまりは嬉しそうに笑った。





〈了〉
2012/11/06

thanks!! & name thanks!!


⇒ 一之瀬 てまり(さきん さま)
⇒ 五家宝 時子(ヒナ さま)

今や遅しと
七つの水槽