今や遅しと



誇りと違えた華の道


 まだ少し肌寒い季節に行われた、華道家による生け花の品評会。様々な流派の名手たちの作品が揃う会場からは、落ち着いた雰囲気でありながらも、その盛況ぶりが見てとれる。
 そんな静かな賑わいを見せる会場の中で、さして大きくもない花器が人々の目を引いていた。
 桜の枝を主題に据えたその作品は、決して派手な装飾を施されているわけではない。技術的には基礎程度のものしか使われておらず、だからこそ、見る人が見ればその腕の良さが手に取るようにわかる秀作。
 清楚でありながら、どこか凛とした雰囲気を醸し出すその作品の脇に置かれた名前は──百鬼 六花。

「流石は六花、次期当主の名は伊達ではないな」

「……尤も、本人はどうでも良さそうだけどな」

 六花の作品の前で足を止める来場者は、後を立たない。その様子を少し離れた場所で眺めるのは、彼の従兄弟である華祿と吟華。兄である華祿の呟きに、弟である吟華が隣から淡々と返す。
 事実、異彩を放つ作品を生み出した本人は、会場にすら来ていなかった。
 会場には一臣や八代といった彼の兄弟の作品や、親戚の作品も並べられてはいるが、どれも六花の作品には及ばない。現在、彼の敵は彼自身のみと言っても過言ではないのだから、会場に足を運ぶ必要もないのだろう。
 華祿はそう結論付けて、ふと、思い出したように隣で静かに佇む弟へと視線を向ける。

「吟華は出品しなかったのか」

「俺はもう華の道には入らない。それに、次代の引き立て役なんて御免被る」

 自分はそんなにお人好しではないと、前を見据えたまま告げる吟華。その横顔を見ながら、華祿は内心首を傾げた。

 いつからだろうか。公の場で、吟華が花に見向きもしなくなったのは。
 華祿の記憶が正しければ、小学生の頃は毎日のように花と向き合っていたと思う。それが、ある次期を境に鋏の代わりに刀を握る日が増え、大和学園への入学を決めた時も迷わず体育科に進学してしまった。華道を遠ざけるような吟華の行動に、戸惑いを隠せなかった両親の様子を鮮明に覚えている。
 しかし、決して花が嫌いになったわけではないことを、兄である華祿は知っていた。
 実家の吟華の自室には、きちんと手入れの施された華道の道具が揃っている。そして、極稀にではあるが、吟華は未だにそれらを使っているのだ。
 何度か吟華の自室で、彼の手によるものであろう作品を見たことがある。人目に触れることを憚るように部屋の隅に置かれた花器。それは必ず一日と経たずに消え失せたが、目にする作品はいつでも秀逸で、吟華の技術と感性が確かであることを窺わせる。

 引き立て役になど、なりはしまい。吟華の作品は六花を超越出来ずとも、決して見劣りはしないはず──そこまで考えて、思い至る。

「……だから、か」

 旧家にして華道の大家である百鬼。その技術を継承する六花の華道界における影響力は、早くも確かなものになりつつある。
 百鬼の当主に求められるのは、武力や人徳などではない。華道界に、百鬼の存在は絶対なのだと確信させるような、圧倒的な技術と感性。
 故に、次期当主である六花に追随するような作品があってはならない。百鬼の名を背負わない吟華が、六花と並ぶほどの作品を生んではならないのだ。

「……吟華」

 当事者である弟は、早いうちから気付いていたのだろう。自分の才能が次期当主の立場を揺らがせることを。
 だからこそ、産まれた時から歩んでいたはずの道を──花と歩む道を、自ら踏み外したのだ。

「そんなに本家の誇りが大切、か……?」

 旧家の血を色濃く受け継ぐ身とはいえ、自分たちはあくまで分家の人間。分家を強く縛る傾向のない百鬼本家は、さして強く干渉しては来ない。何より、現当主は分家筋だ。分家の人間である吟華の華道の才能は、高く買われるだろう。
 しかし、吟華はそうなる前に手放した。
 近代当主が二代続けて分家筋からの婿養子である百鬼にとって、六花は待望の本家直系の跡取り息子。その六花に並ぶ分家筋が居ては、外聞が悪い。
 そう、全ては百鬼本家の威厳の為に。

「愚問だ。答えるまでもない」

 問われた吟華はそう言い切る。前を見据えるその瞳は、揺らがない。
 ただ、腰に帯びた刀を握りしめる弟に、華祿は静かに目を伏せた。





〈了〉
2013/01/05

今や遅しと
七つの水槽