無題1
「多忙なパパとの約束に遅れるとか、澄くんちょっとひどくない?」
パパ泣くよー、と言いながらも笑う父親──庵里は、壁に背中を預けたまま手にした懐中時計を振り子のように揺らす。右に左にと動くそれに視線を合わせて確認すれば、約束の時間を五分ほど過ぎていた。
「実にごめん。猫と八代の和む図が」
母国語で話しかけてきた庵里に合わせ、澄は同じく母国語で返事を返す。息子の口から出た聞き覚えのある名前に、庵里は首を傾げた。
「八代? ……あぁ、一臣くんの妹さんか。暫く見てないなー」
「カズオミ? 知り合い?」
「友達だよ」
本人が聞けば全力で否定するであろう答えを笑顔で返して、庵里は壁から背を離す。
「しかし、懐かしいなー。ここ数年くらい会ってないし、今度嫌がらせに会いに行こうかな」
促すように澄の背中に手を添えて楽しそうに笑う庵里。
そんな父親に、澄が見たことのない八代の兄を想像すれば、何となく八代と似ているような気がした。
〈了〉