もう日が暮れて1時間ほど経過していた。 ダンクスらに通された小屋は、住民ひとりが限界といった本当に小さな家だった。 くすんだ鏡と古びたベッド。文句を挙げればキリがないが、最大のプラスはお風呂があったことだろう。 しかしお湯を沸かすのはひと苦労なので、今晩は水浴びぐらいで済ましておくのがいいとのことである。 洋の東西を問わず、カオリのいた時代の日本のように日常的に入浴する習慣のある国など昔はあったのだろうか。 カルチャーショックは大きいのだが、まだ年若く、実家住まいのカオリにとって、ひとり暮らしの家の誘惑は大きかった。 小さな部屋に自分ひとり。少しの間だけなら悪くないかもしれない。 寝転がっていた古びたベッドを立ち、浴槽のそばにある鏡を覗き込む。 変わらない自分の素顔。しかし背中に広がる室内模様は異質そのものである。 ダンクスと自警団が井戸から組み上げてきてくれた水が浴槽に溜められている。比較的清潔そうで安心である。 それにしても、自分はこの世界でやっていけるのだろうか。剣術には自信があっても、家事はあまりできないし、普通の女子大生として日々を過ごしていただけの自分である。確かにルックスは褒められるけれど、考えごとをしていると他のことが意識されなくなって失敗してしまうし、友人から天然と呼ばれることも多い。 自分の死の直前のことは記憶にないけれど、あの状況でもし自分が死んだ理由があるのだとしたら…………自分の頭の弱さを呪いたくなった。 あーもうバカバカバカ! 腹立たしくて頭を自分の両手で叩く。そしてその子供っぽい動きにまた自己嫌悪。なにをやってるんだろう私は。 考えごとをしていたせいか、ソフィアの叫び声が家の外から響いてくることにしばらく気づかなかった。 耳をすますと、「カオリさん、ゴブリンです!」と聞こえる。ああそうか、ゴブリンがイタズラしにきたのだ。そして家の近い彼女がそれを伝えにきてくれたのだ。 目に入ったのは先ほど手に入れたボロボロの剣。憂さ晴らしにゴブリンとやらを脅してやるか。ダークサイドの自分が心のなかで微笑む。 「カオリさーん! ゴブリンたちがそっちに行きましたー! 危ないからドアを開けないでください!」 今度ははっきり聞こえた。しかし聞こえてくるソフィアの声はまだ少し遠い。 確かに家のドア前に数匹の足音が聞こえ、ボソボソと言葉にならない会話が聞き取れる。 ソフィアにカッコいいところを見せようという気持ちも手伝い、カオリは剣を握って小屋のドアを開けた。 開かれるたて付けの悪いドア。 視界に入ったのは身長1メートル前後の緑色の亜人たち。4匹のゴブリンである。 いずれも頭ははげ上がり、ボロボロの布切れをまとって小さな棍棒を手にしている。顔はどこか意地悪い感じだったが、カオリがドアを開けるやいなや、4匹同時に血を吹いてその場に倒れてしまった。 「えっ? どういうこと?」 カオリは慌ててゴブリンたちに駆け寄った。初めて見る種族であったにも関わらず、不思議と抵抗はなかった。 しかしカオリにはなにが起こったかわからない。かれらは死んでしまったのか。おそるおそるかれらの顔をあらためる。まさか、ゴブリンの命を一瞬で奪う疫病かなにかなのか。 まさか……。 カオリの口元がわななく。心臓が早鐘を打って動悸が聞こえてくる。自分がセフィロトからもらった能力は、確かめもしたくないような最悪の能力だったのではあるまいか。 まさか、近づいただけで相手の命を奪う……。 いやっ! いやだよそんな能力。 カオリは頭を抱えた。自分は異世界からやってきた死神なのか。 「カっ、カオリさんっ!」 俯いた頭の上から上ずったソフィアの声が聞こえる。もうこちらまで着いてしまったのか。カオリは怖くなって否定の言葉を口にしようとする。 「ちっ! 違うのっ! 私は……」 「なんて格好してるんですかっ!」 「……えっ?」 よく見ると、ソフィアは顔を真っ赤にしている。 なんて、格好? いや、私の持ってる服はさっきの麻のワンピースしか……。 「…………あっ…………」 背中に直接感じる髪の感触、土の触りが少し不快な足の裏、抱えた膝に柔(やわ)く温かいバストの膨らみ……。 えっ、ちょっと待って? おかしいよね? 私、考え事する前に何をしようとしてっ……。 ふと目の前に倒れたゴブリンたちを見る。変だ。かれらは血を吐いたように見えたのに、よく見ると口には血がついていない。ついているのは…………鼻だった。 「カオリさん、なんで外で裸なんですかっ!」 「いやぁァァァァァァァァァァァァァァァァァーーーー!」