「えっと……その、どうして私の名前をご存じなんですか?」 その美しい風貌と理知的な声に圧倒されてしまっているカオリがいた。 精霊って、なんだかすごい。まだ精霊と決まったわけではないのだけど。 「昼間の出来事を見ていましたので。フェアリーたちも同じですよ。かれらが見えていたのも、私と会話できるのもあなたひとりでしょうけれど」 そう言うと女性は腰を屈めて右手を地面に触れた。足元の雑草を撫でるように払うと、それらはゆらゆらと茎を伸ばし、葉が周囲を覆うように巨大化していった。 「えっ……!?」 まるで植物観察の高速映像のようだ。そこに目まぐるしく登っては降りる太陽はないが、急速に成長する植物たちは狭いと文句を言うようにかさかさとかすれた音をたてながら領域を広げていく。 それらが横幅にして10メートルを囲い込むまでに1分もかからなかった。一部の蔓は池面に落ちるほどだったが、最後は垂直方向に持ち上がっていき、その先で蕾を綻ばせた。 まるで魔法である。花はいずれも美しい桃色で、花びらを広げると同時にまばゆい光を放ち始める。 「驚きましたか?」 「はい、すごくきれいです」 この花は照明代わりなのだろう。この広場自体がなかなかの面積で、ぬばたまの闇のなかではカオリが、いや人が目視できる範囲は限られてくる。 「もしかして、あなたは“ドリアード”ですか?」 彼女は首を縦にも横にも振らない。 「そう呼んでいただいても構いません。私たちがこの森に住む精霊であることは確かですから」 ドリアードないしドライアドという言葉がこちらに存在しているのかはわからない。しかし今の彼女の返事からするにやはりあるのだろう。 ドリアードといえばニンフの一種であり、美しい女性の姿と木から出てくるところまでは一致している。しかしその伝承も地域によって変わってくるし、木の精霊とドリアードを単純にイコールで結ぶことはできないのだろうけれど。 「さて、実はあなたにお願いがあって来ていただきました」 「来ていただいたって、あの……あの妖精はあなたの遣いだったのですか?」 「ええ。あの子のことは高い魔力を持つ者ですらそこにいることを感知するのがせいぜいです。その姿がはっきりと見えてしまう人間というのは私も初めて見ました」 「そうなんですか?」 ドリアードは今度ははっきりと首肯する。 「かつては我々の仲間と話したり関わりをもった人間もいたそうですが、少なくとも私がこの地に生を受けてから数百年、そのような者が現れたという話は聞いたことがありませんね」 カオリは首筋に指を当てて唸った。 釈然としない話だ。自分が特別な存在かもしれないと言われれば悪い気はしないけれど、私は人の姿をしているだけで本当は木の精霊として転生していたのだろうか。突飛な展開過ぎてついていけない。 ……ちょっと待って数百歳でその美貌? 「もちろんあり得ない話でもないのかもしれません。あなたはもともとこの世界の人間ではない、そう話をしていましたよね」 「はい、なにがなんだかわからなくて」 「神の力を以てすれば、そのようなことも可能ということでしょうか。私は詳しくは知りませんが、そちらの事例ならば耳にしたことがあります。“転生者”と呼ばれる存在です。例えば噂に聞くセフィロト神ならばそのようなことをするやもしれません」 セフィロト……。そう、私は結局彼の掌の上で踊らされているだけなのかもしれない。 彼の目的がなんなのかわからないし、そもそもそんなものはなさそうな口ぶりだった。 しかし一度は失った命を再びもらったわけで、その点は感謝している。ついでにその神界一のイケメンというご尊顔を拝してみたかったが。 「あくまで推測に過ぎませんが、私たちと話せるのもあなたを転生させた神がその力を与えたから、そう考えるのが自然だと思います。そもそもこの世界に生まれ落ちていないあなたがなに不自由なく他の人間と話しているのも、特別な力がもたらされたからと考えるのが筋でしょうからね」 「なるほど」 「そろそろ本題に入ってよろしいですか?」 「はい、すみません」 ドリアードはまた微笑んで見せた。その葉っぱのドレス結構かわいい、などと一瞬どうでもいいことが頭を過ぎる。 「単刀直入に申しますと、この森と近くの村を狙っている者を止めていただきたいのです」 この森と、近くの村。メルクマンサの村のことか。ロールプレイングゲームならば王道の展開である。小学校のころ夢中になってやっていたテレビゲームのお決まりの展開ゆえ、すんなりと頭に入ってくる。 「そんな人がいるんですか? メルクマンサの村の自警団たちはそんなことは言っていませんでしたが」 「その者はまだ直接この地に現れてはいないようなのです。ですからかれらが気づいていないのも無理はありません。私もその者の正体はわかっていませんしね。ひとつ言えるのは、ある程度の魔法の素養をもつ狡猾(こうかつ)な人間ということだけでしょうか」 「どうしてそんなことがわかるんですか?」 「あなたたちが昼間退けたリザードマンたちですが、もともとこの周辺には生息していない種族なのです。たまたま森に迷い込んだとするなら理解できますが、このところ同じように凶暴な来訪者が続けて現れているのです」 「凶暴な? 初めてじゃないんですか?」 ドリアードは頷く。 「ええ。それもだんだんと現れるものたちの凶暴さ、破壊性の強さが増しているのです。おそらくですが、魔力で操れるレベルをだんだんと上げているのでしょう。この森に訪れたモンスターたちは必ずしも周囲に危害を与えるものたちではありませんでしたからね」 「これまでは、あなたが対処していたのですか?」 「そうです。ですが私たちは可能な限り人に存在を悟られたくないもので、今回は村の者たちに対処を委ねることにしました。あの者たちならば負けることはないと判断しました」 確かにそうだ。ダンクスならば余裕の相手だったはずだ。しかしソフィアは戦い慣れしていなかった。あのまま放っていたらと思うと複雑なところもある。 「つまり、私にそのモンスターを操っている魔術師を止めてほしいってことですか?」 「はい。まだ相手の目的が不明ですが、欲深い人間がこの地を狙ってきたことは初めてではありません。この世界の右も左もわからないあなたに頼むのは心苦しいのですが、あなた以外にお願いすることはできませんからね」 「ですが、私よりもあなた方が動かれた方がよろしいのではありませんか? 私はひとりですし、戦力にもなれそうにありません」 村の自警団ならば協力してくれるかもしれない。しかしドリアードに会ったと話したところで異世界転生者の世迷言と処理されるのがオチだろう。説得が終わるころにはすでに敵の魔の手に首を掴まれているかもしれない。 「残念ながら私たちは森から出ることができません。それに火や人造物を苦手とする仲間も多いため、大っぴらに戦えば被害ばかりが大きくなってしまいます」 「ですが、敵の規模がわかりませんし、高等な魔術師を相手にして私が勝てるとは思えません」 ドリアードは黙ってこちらへ歩を進めた。 そして一度足を止めると両の手のひらを上に向けて揃え、念を送るように目を瞑った。 すると豆電球のように小さな光が現れ、四方八方にその輝く腕が伸びていく。やがて光は蓮の花のように広がりを見せ、数センチの桃色の花を残して過ぎ去っていった。 「あの、それは?」 ドリアードは変わらず無言のままそれをカオリの額の辺りへ持っていき、前髪につけた。 「これには私の力と同等のものが秘められています。カオリ、あなたなら使いこなせるはずです」 「同等の力?」 「ええ。これを」 ドリアードはいつの間にか折れた木の枝を手にしていた。それをカオリに差し出すと、右手に握らせた。 「今のあなたにはあらゆる植物の生命力を伸ばしたり、その力を得る能力があります。イメージしてください。この枝が伸びていくさまを」 カオリも目を瞑り、その枝を握って念じた。右手に魔力のようなものが漲(みなぎ)るのがわかる。やがて手中で枝が動き始め、慌てて目を見開く。 そこにある枝は動いていたのではなく、成長していた。それはちょうど2倍ほどの長さになるところで発育を止めた。 これ、私がやったの? 「すごい……。これがこの花飾りの力なんですか?」 カオリは左手で前髪にとめられた花を撫でた。冷たく堅い感触がある。 「ええ。この空間にはわれわれのエネルギーが満ちていますから、少し念じただけで自在に成長させることが可能です。ここ以外で使う場合は訓練が必要になりますが、よほど高度な技を使わない限りは、すぐにでも体得できるはずです」