「行け! ラヴィッジウルフ!」 ドマーと呼ばれた男が叫んだ。その声に呼応するように漆黒の闇のなかで烙印が鈍く輝く。そしてラヴィッジウルフがのしのしとこちらまで歩いてくる。ダンクスたちのことは一顧だにしない。狙いがカオリであることは明白だった。 ソフィアとマックレアがラヴィッジウルフを追おうとするが、ダンクスとエレーナが腕を掴んで止める。 「心配するな。あいつなら大丈夫だ」 ダンクスはソフィアに言い聞かせるように伝えた。まだここにいることがバレてはいけないために、そっと耳元で囁くかたちになる。 大柄な狼男は発達した上半身の重さで難儀そうに階段を登っていく。ラヴィッジウルフですら問題なく移動できることが、この地下空間の巨大さを表している。 続けてガチャリと開け放たれる檻の扉。響いてくるのはまたもラヴィッジウルフの唸り声。 立て続けに解放されたラヴィッジウルフ2体は、カオリの命を狙って行進を始めた。同じようにダンクスらの潜む壁際の陰を通り過ぎていくが、やはりこちらに気付く気配はない。 あらかじめカオリのリュシフォンの作戦は聞いていたし、その効果もこの目で確認している。しかしこれほどの数が相手で本当に無事なのだろうか。背面に汗が滲んでくる。 「騒々しいですねドマー。侵入者ですか?」 「はい、若い娘です」 「娘……? まあいいでしょう。ドマー、侵入者を捕らえるのです。必要ならば殺しても構いません」 「わかりましたよ」 ドマーは反り返った刀身の剣を肩に載せ、気怠そうにこちらへ向かってくる。乱雑に袖が千切られた白い布の服の男。刈り上げた髪型も手伝って絵に描いたような悪漢ルックである。しかし先ほどから聞こえてくる慇懃(いんぎん)な喋り口の男の方がタチが悪いし位も高そうだ。 足音がすぐそこまで来ている。この暗さなら気づかれない可能性もある。しかし……。 「ちょっと待てや」 「あ?」 ダンクスは勢いよく立ち上がると、ドマーなる男の鳩尾に裏拳を叩き込んだ。一瞬の出来事だった。 「ぐはぁっ!!」 ドマーは殴打の衝撃を堪えきれず、くの字になって床に倒れ込んだ。舞い上がる砂埃。 ドマーは苦しそうにひとしきり咳き込むと、床に落とした剣を掴もうと手を伸ばした。 「おっと」 しかしダンクスが剣を蹴り飛ばしたために空を掴んでしまう。 「はじめましてご近所さん。ちょっと注意をさせてもらいに来たぜ」 ダンクスは屈んでドマーの顔を拝むと、大仰そうに立ち上がって今度は堂々と角を曲って黒幕と相対した。 まず目に入ったのは石材を敷き詰めた床に描かれた六芒星だ。その魔法陣のなかに声の主はいた。着古した上等のローブを羽織った痩せた男である。額から鼻梁を通って口元まで届く傷跡は、聖騎士とやりあった際につけられたものか。 空間はカオリがひとりで住まう小屋に換算して2つぶんほど。儀式に用いるにはまあまあな広さだ。壁際には黙ってもたれかかるもうひとりの仲間が控えていた。こちらは地べたを這いつくばっている男の仲間らしい。服装は共通しているものの、大柄・髭面で落ち着きが感じられるし、年齢もドマーよりひと回り上だろうか。無骨で無口な炭鉱労働者といった出で立ちである。おそらくふたりはこの腐れ魔導師に雇われているのだろう。 「おやおや、他にもお客さんがいましたか」 嘲笑を含んだ敬語。これほど慇懃無礼という言葉が似合う輩もそうはいない。 暗がりで嗤(わら)うローブの男は、殺風景な視界の一部からシールを剥ぎ取るように自身の灰色のフードを脱いだ。癖で唸りを上げる髪が露わになる。白い肌と眼窩(がんか)の落ち窪んだ目元が不健康なイメージを抱かせる。 「メルクマンサの者だ。ペットの放し飼いについて苦情を言いに来た」 「メルクマンサというのはそこの村のことですかな。これは失礼致しました。今後はもっとまともな魔物を差し向けるとしましょうフハハハハハハ!」 男の哄笑(こうしょう)が不気味に反響して谺(こだま)する。こいつ、話が通じるのだろうか? 「そんなことはスィメア王国の騎士、このマックレア・ソードウェルが許さん!」 マックレアが現れ、大剣を上段に構える。今にも剣尖(けんせん)が天井に突き刺さりそうだ。 「おやおや噂に聞くスィメア騎士団の方もいらっしゃるのですか。見かけ倒しでないといいのですが」 「貴様、騎士団を愚弄する気か!?」 「待ちなさいマックレア」 「エレーナ……」 いつの間にかマックレアの隣に立っていたエレーナは、彼を制止させた手を引っ込めた。そして3歩前に歩み出て男の顔を覗き込む。普段の彼女からは考えられない険しい表情だ。 「ヒュルデン。ヒュルデン・ロマンサー……。そうか、そういうことね」 「ヒュルデン……? ちょっと待て。ヒュルデンって、あの失踪したセフィロト神殿の神官か?」 ダンクスはその名前に覚えがなかった。しかしロマンサー姓は隣国のエンヴリマに多い苗字である。 「失踪とはずいぶんですな。私ははっきりとセフィロトの信仰などクソ食らえだと申し上げたつもりでしたが」 ヒュルデンと呼ばれた男は手に持った杖を弄んでいる。杖には不気味な暗色を放つ宝石がはめ込まれていた。 「隣国に位置するセフィロト神殿で次期神官長とも呼ばれていた人だから記憶にあったわ。まさか背教に堕するなんて誰も予想していなかっただろうけど。そしてねぇ、その杖はどういう来歴?」 エレーナが細い腕を伸ばし、人差し指でヒュルデンの杖を指し示した。 「それってモンスターの使役が教義にそぐわないとされるより昔に封印された杖のひとつよね? 僅かな魔力だけで魔物の召喚と使役が可能となる幻の杖。歴史の授業で習って以来話題に挙がらないからすっかり忘れてたわ。教団内部のことだからよく知らないけど、本当に存在していたとはね。つまり勝手に神殿の所有物を持って出たってワケ?」 「やれやれ」とヒュルデンは両手を肩の上で開いた。 「セフィロト教団は強大な組織ですし、一枚岩ではありませんよ。まがい物の神を信仰している憐れな者たちという点では共通していますけどね。私のいたエンヴリマエリアのセフィロト神殿では堕落した神官たちが時の権力者と結びついて汚職を重ねてきた歴史があります。信仰の独立性を謳っていながら都合さえ良ければ国とだって結びつくわけです。信者たちには隠したままでね。さあ、これが本当に一部神殿だけの腐敗なのでしょうか。私はそうは思いませんね。今だっていつまた悪い方向に流れ行くものかわかったものではない。使役魔法もそうです。かつて神の名を免罪符にさんざん利用してきたくせに、大神殿から禁止令が出れば臭いものに蓋をするようにこれらの杖を封印してなかったことにする。結局隠蔽体質は変わっていないのですよ。くだらぬ神の教えになど従う義理はない。私はこの杖で以て力を得る。それだけの話です」