そして異世界と呼ばれる世界のこと―――― 「異常なしです! 先輩」 ソフィアは小さく敬礼する。 ここはメルクマンサ村の近隣の森である。川が流れ、深々と緑が生い茂るここには、かつてから木の精霊(ドリアード)が住むという言い伝えがあった。古くから村に恵みを与えてくれている上、これまで凶暴なモンスターが棲み着くこともなかったために、入り口付近にはブランコが設えられて子供の遊び場としても機能している。 なお、高名な魔術師がこの森を通りかかった際に、この森深くにオーラのようなものを感じ取ったという言い伝えが残っている。それが木の精霊伝説に繋がっているのだろうが、森を神に見立てて信仰する者が出てくるぐらいにはメルクマンサとこの森の関係は深い。 「ご苦労だったな。ソフィア」 同行者のダンクスは腕を組んで森の奥へと続く道を睨んでいる。心ここにあらず、というわけではないのだが、今彼が気にかけているのはソフィアよりもその向こうの「何か」であることは疑いの余地がない。 そろそろソフィアたちとその目的について触れておかなくてはなるまい。 ソフィアとダンクスはこの森の傍に佇むメルクマンサ村の自警団の所属である。自警団とはいうものの平和な田舎町であり、有事の時以外はこの森のパトロールも行っている。 ソフィアは幼少期より学業優秀な少女であったが、村に対する愛着から自警団で働くことを決めていた。しかしソフィアの戦闘能力には難があり、入団半年の今も事務作業に回されている時間の方が長い。今背中にかけられている弓の腕もお世辞にも良いとは言えず、今日もダンクスのお供と呼ばれても仕方がないポジションであった。 ダンクスは齢22の将来有望な若者である。金色の髪に少し小さな目、四角い顔と青髭の目立つ顎が豪快そうな男だが、斧の一撃はまさしく豪快の一言である。 また村の近所付き合いで薪割りを手伝ったりと評判のいいお兄さんであり、村の幼い少女たちには「将来ダンクスお兄ちゃんのお嫁さんになる!」と言ってはばからない子もいる(いい歳の彼に浮いた話がないため、村の上の世代は早く結婚してほしそうにしている)。同じ村に生まれた4歳下のソフィアのことも妹のように慕ってくれているところがあり、今日も自分からソフィアの同行を買って出ていた。 「まだ、気になってらっしゃいますか?」 ソフィアは首を傾げた。それに対して「うん?」とつぶやくダンクス。ようやくダンクスの視線がこちらを向いた。 「何がだ?」 「さっきおっしゃられてましたよね、森の奥が白く光ったように見えたと」 ダンクスの組んだ腕がさらにきつくしまったように見えた。 「気のせいだろう。見通せるほど狭い森ではないし、ちょっと疲れていただけだろうさ」 ダンクスは足元に落ちていた小石を広い、川の流れ込む池に放った。池に映ったソフィアの姿が波紋に消え、また元に戻る。 ソフィアは亜麻色の長い髪をしていた。肌の色は白く、眼鏡をかけているためにひ弱そうな印象を受けることがある。少しやつれているだろうか? それとも気のせいか? 無意識に頬に手をやっていた。 ちなみにエメラルドグリーンのチュニックの上には胸当て、短めのプリーツスカートに革のブーツがソフィアの定装備である。 「もしかして木の精霊でしょうか?」 「おいおいソフィア、おとぎ話じゃあるまいし」 「あり得ないこともないと思います。こんな豊かな自然に邪悪な生き物が寄りつかないというのは、なんらかの理由があるからだと思います」 厳密には邪悪な心を持つ人間の侵略に遭いかけたことがある。メルクマンサの村ができる前の話だが、原住民の抵抗もあえなく、時の為政者が解き放った軍隊が森の資源を奪おうと侵略を始めたのだ。しかしなぜかその計画は頓挫している。 森の自然を破壊しようとした者たちが謎の失踪を遂げた、あるいはかれらの陣営が嵐に呑まれたなどさまざまな言い伝えがあるが、真相は不明である。 後年になり、それは木の精霊による加護だったのではないかと言われるようになる。木の精霊を目撃したという者が百年単位で数人現れたためだ。 その多くは森で遭難した際に疲労と飢えで幻覚を見たのだと考えられているが、わずかながらその姿を克明に記憶しているものがあった。ソフィアはその詳細を記憶していないものの、花飾りをつけた美しい女性の姿をしていたというのは共通していたという。 「とは言っても、今じゃどこぞの昼行灯(ひるあんどん)の支配下にあるし、数は少ないとはいえここで採れた薬草や木材はあのおっさんのところに献上されてるぞ」 「ダンクスさん! 言葉が過ぎますよ!」 昼行灯とはこのメルクマンサの村を含むスィメア国の国王のことである。スィメア王は国王とは思えぬほどおおらかな性格で他国に敵を作らない。一方でどんぶり勘定な財政や訓練不足の王国騎士団の存在から先の蔑称で呼ばれている。「こんな国で大丈夫か?」と思われる反面、それが国王人気に繋がっているのも事実ではあるのだが。要するに他国に狙われるほど戦略的に重要な立地でないことが幸いしているのである。 「まったくお前さんは真面目だねぇ。勉強はできるわ言葉遣いは恭しいわで、王都に行けばいくらでも仕事があるだろうに」 ダンクスは頭をがさがさと掻いた。篭手を着用したままのため、痒いから掻いたわけではなさそうだ。 「いえ、私はこの村が好きなのです。この村に住む人々の役に立ちたいのです」 「そんだけ見てくれもいいのに。見合い話だってあるだろうが」 ソフィアは不服そうにぷいとそっぽを向いた。 「私は心に決めた人と添い遂げたいのです。お見合いだなんてごめんです」 「心に決めたって。こんな田舎村に選択肢なんてねぇだろうがよ…………って待てまてまて。なんだその殺気は?」 「なんでもありません!」 その時だった。 森の奥へと続く道の向こうで獣たちの動く音がした。がさがさと枝葉が揺れ、多くの生命体が移動していく音。やがて木々の間を抜けて広がりに出たらしく辺りは再び静かになった。 「獣たちでしょうか?」 「四足歩行とは思えない足踏みだったが」 ダンクスは顎に指を当てた。 「もしかしてゴブリンたちでしょうか? 最近迷い込んでは来ていませんが」 「だとすれば様子を見に行くしかないな。やっこさんらがただ間抜けなだけなら世話はないが、魔王軍に心を売った連中もいないとは限らん」 ゴブリンは亜人の一種だが、元来人間と反目し合ってきたわけではない。確かに魔王勢力に属して人に仇なすものたちもいるが、スィメア国に生息する野良のゴブリンたちのほとんどは、せいぜい人の食べ物をつまみ食いする程度で害はない。なかには食べ物を与えて農作業を手伝わせている者もいるということだ。 「行きましょう」 「ああ」