「本当なんだ! 信じてくれ!」 黒いローブの男は目を血走らせて叫んでいる。 天から降り注ぐ雨。ぬかるんだ地面。ランプが照らすその姿はあまりに見窄らしく、大罪人であることを踏まえても憐みを禁じ得なかった。 「そのような言い訳など聞かぬ」 そう言って背教者の腕を引っ張る聖騎士の顔にも名状しがたい感情が浮かんでいる。騎士が規律を重んじるのは教会であれ王国であれ同じこと。毅然とした態度を取ろうとするのはむしろ好ましいことなのだ。それなのに……。 マックレアは釈然としないまま、その光景を目に焼き付けていた。 報告を受けた頃にはすでに夜更けだった。 スィメア国内に逃げ込んでいた背教者が王都の見張りの任に就いていた兵士に助けを求めてきたのだという。平和ボケ国家と揶揄されることもあるスィメア国の騎士団にはまさに寝耳に水だった。 雨はすでに小降りになりつつある。今もエンヴリマから落ち延びてきた背教者たちは聖騎士の白い鎧に縋ってなにかを訴えている。 「悪魔……ねぇ……」 隣りに立ってだんまりを決め込んでいたエレーナだが、ここにきて突然口を開いた。 「何か思うことでもあるのか?」 「いいえ」 エレーナはポニーテールにした髪を右手で払う。 「いてもおかしくはないと思うだけよ。むしろ今まで遭遇しなかったことの方が異常だと思う」 スィメア国はパノプリア大陸の秘境と呼ばれるほど開発の進んでいないエリアだ。国土の七割以上を山林が占め、その多くが森の精霊たちの加護を受けているために切り倒すことができない。これらを林業に利用できていたらとうの昔に豊国の仲間入りを果たしていたであろうが、現実には拠点にも使えない中途半端な立地、資源という資源の不足が原因となり、これまでほとんど戦火を浴びることなく今日まで至っている。 「“スィメア王国に脅威なし。あるのは強力な獣だけ“とはよく言ったものだが、悪魔から見てもこの国には魅力がないらしいな」 「それはそうでしょう。多くの人間を謀って悪の道へ誘い込むのが悪魔だもの。実入りの少ない田舎町なんて非効率もいいとこよ」 「悪魔なら今隣りにいるが」と言いかけてマックレアは口を噤んだ。今はくだらない言い争いをしている場合ではない。 もちろんただの偶然という可能性もある。悪魔の事情など人間に理解できるとも思えない。 「それにしても聖騎士たちも出張ってくるのがずいぶん早かったな」 「例の背教者事件は結構なスキャンダルだったからね。エンヴリマやスィメアで教団を去る信者が出てきているらしいわ。事情が事情だし、粛清まがいのことでもしたらますます火に油を注ぐことになる」 「粛清はさすがにないだろ……」 「せめて事件の後始末ぐらいはきれいにしたい。そういうことでしょうね」 エレーナの言葉に異論はなかった。今回の事件は教団も世間も看過できるレベルにない。大神殿の下す審判が気になるが、辺境の国の一騎士の預かり知るところではなさそうだ。 視線を背教の男に戻すと、白い鎧を身にまとった聖騎士たちが視界に入る。同じスィメア国に暮らす騎士でありながらこの装備の差はなんなのか。教団お抱えの騎士たちは高貴なデザインの鎧をまとっている。材質もスィメア騎士団のそれよりワンランク上のものを使用している。 武器もスィメア国騎士団標準装備のグラフツァート製品とはわけが違う。単純な頭数なら王国の騎士団の方が上だが、彼我の差をまざまざと見せつけられた気分だった。 そこまで考えたとき、マックレアの視線が異質なものを捉えた。 大柄な男の多い騎士団において一際小さな体躯の者がいる。黒いロングヘアの女性だった。碧眼が印象的で、まだ若く美しい。 表情は乏しく、勤勉そうだが人間的な面白みには欠けていそうか。 まるでおとぎ話のなかに出てくるエルフの姫君のようだ。この見てくれで聖騎士隊の一員と言われてもにわかには信じられない。人は見かけによらないということなのだろうか。 しかし思案もそこまでだった。次の瞬間、美貌の騎士の碧い目がマックレアに向けられていた。