浄化されていく死者の怨念たち。 辺り一面に散らばった砂状の塵を見ているとひどく虚しくなることがある。ゾンビと戦うことは初めてではないが、何度もあることでもない。 アリーファは体をかがめ、それらの塵をひと摘みすると、掴んだ指の隙間からさらさらと地面に向かってこぼしていった。 もとは命を宿していたはずの存在。かれらは何のために現れたのか? 魔術師が死者をゾンビ化して蘇らせるパターンは時折耳にする。しかしそれには何らかの理由があるはずなのだ。王都を狙ったのか、或いは特定の個人を襲う目的で覚醒させたのか。しかし今考えても埒が明かない。アリーファは白いマントを翻すと、仲間の元へと戻ろうとした。 その時だった。 「セフィロト神の従者か。なかなかの手並みじゃな」 アリーファは驚いて振り返った。鼻につく若い女の声。時代がかった喋り方とのギャップが思考をかき混ぜてしまう。 そこにいたのは漆黒のローブをまとった少女だった。水色の長い髪と感情の読めない瞳、左右のこめかみの辺りでローブと同じ色の細いリボンがそれぞれに輪を作っている。 「剣を収めるがよい。私はお主の命を奪いに来たわけではない」 アリーファは無意識のうちに構えていた剣を鞘に収めた。この場で警戒しない方がおかしいのはわかっていた。しかし彼女の発する言葉、視線、立ち居振る舞い、そのすべてを疑っても敵愾心は微塵も感じられない。 「あなたは?」 アリーファは声を上ずらせながら訊ねる。それが「人」ではないことは明らかだった。発するオーラの悍ましさや、人として一般的とは言い難い言動をする少女を見れば、多くは気づくはずである。彼女(?)が人ならざる存在であることが。 少女の外見をした存在は、首を傾げて「ふむ」と口にした。 「そうじゃな。お主たちの言葉で言えば“死神”と呼ぶのが正しいかのう(*3)」 「死神?」 死神とは名の通り死を司るものだ。脈絡もなく人の命を奪い去るもの、或いは死にゆく定めの者を迎えにくるもの。一節では創造神と近しい関係にあり、死を扱うこと自体に善悪の価値判断はなされない。また死神と呼ぶ場合、基本的にその一族の神のことを指すが、かれに仕えるものたちもまた死神と呼ばれ、生きとしいけるものの命の終わりを司っている。 そこまで考えると、剣を握る手に汗が滲んできた。心臓の音も大きく響いている。 落ち着いて。 アリーファは自分に言い聞かせる。 死神にもいろいろいる。彼女は命を奪いに来たのではないと言ったではないか。今はそれを信じるしかない。 死神は僅かな間を置いて頷いた。見るにまだ幼さの残る顔つきだ。外見と年齢が一致しているのならば歳の頃は16、7だろう。そのあどけない少女が無表情のまま死神を名乗るのだから滑稽と言う他はない。 「いかにも。我が主の命があって地上へ降りてきたのだ。最近この地に多くの屍人が蘇っていると聞いてな」 死神は中腰になって砂の山と化したタキシムを見つめている。魔力の残り香を確かめているのか。 「多くの屍人? つまり、他にも蘇っているということ?」 ということは今戦ったものたちはごく一部なのだろうか。 小柄な死神はまたコクリと頷いた。 「そのようじゃな。おそらくなんらかの術を用いているのじゃろう」 今度はその瞳が連行されていくマヌガスを捉えていた。犯人はマヌガスなのか。 「あの男が元凶かのう」 「だとすればもう解決すると思いますよ。悪魔に自慢の杖を盗られたと言っていますし、自身も囚われの身となりますから」 「杖?」 死神はこちらを振り向いた。年下の少女と話しているようでどうしても調子が狂う。 「ええ、本人はそう言っています。どのようなものかまではわかりませんが、悪魔が欲する物であったことは間違いなさそうです」 本来その事実は致命的なものだ。高値のつく杖を人間が奪ったとすれば、転売の可能性を考慮して捜索が行われる。しかし悪魔が人間の用いる貨幣に興味をもつとも思えない。そうすると、悪魔が盗んだ杖には目的に有益な効果があるということを意味する。そこから必然的に導き出されるのは、神(*4)に仇なす所業がこれから行われる可能性が高いということ。 アリーファは顔を背け、唇を噛んだ。悪魔に先手を取られるとは。平静を装いながらも忸怩たる思いに呑まれそうになっていた。 死神は顎に手を当てて呟くように口を開いた。 「なるほど、だとすれば終わっておらんのではないか」 アリーファはつばを飲み込んだ。それについては想定していた。いくら背教者とはいえ、教団にいて屍人を蘇らせる術を習得することは難しいだろう。ならばそのすべは禁呪の杖からもたらされたと考えるのが自然だ。 マヌガスたちは試験的に杖を振るっていただけかもしれないが、それを悪魔が手に入れたとなれば話は変わってくる。 ここはかつて戦場であった場所だ。その気になれば夥しいほどの数の屍人が再生してしまう。 「必要なのは、その悪魔を見つけて杖を手に入れることかのう」 *3死神・・・神話や異文化、外国語に詳しい方ならご存じだと思うが、日本で言う八百万の神は他文化・他宗教にはない思想であり、海外では精霊ぐらいの位置づけで理解される(キリスト教と分かち難く結びついた英語で表記されるGodの意味を日本人が理解できないのと同じで、それを他文化の人間に理解しろというのは無理な話である)。 転不死の世界ではセフィロト神を特別に信仰する教団が存在するため、世界全体が八百万の神の思想を持っているとは判断できない。ただ邪神の存在が示唆されるように、複数の神や宗教が存在することはわかるため、ここでは名も知らぬ死神が存在する設定とした。ここに登場する少女は死神の使いだが、日本語ならば死神の部下も死神と表記する他ないと判断し、「種族:死神」としている。ちなみに死神は必ずしも(日本的な価値観で言う)悪とは限らず、創造神とは近い関係にあるとされることも多い。 *4神と悪魔・・・転不死の世界には複数の神の存在が示唆されているが、アリーファは聖騎士のため、彼女が「神」と呼ぶものは基本的にセフィロトを意味する。 また悪魔とは何らかの宗教(=神)における教義や価値観から見て邪悪な存在のこと。つまりここでもアリーファにとっての宗教=セフィロト教にとって悪しき存在ということになる。もちろん悪しき行為と呼ばれるものの多くは複数の宗教に共通しているため、ほとんどの宗教から見ても「悪魔」と言える存在はあり得るわけだが。