いくら辺境の小国でも、それなりの往来が見られる繁華街がある。雑踏と喧騒に紛れるようにひっそりと佇む酒場。提げ看板に聞いていた文字列を認めると、ダンクスは迷わずドアを開けた。 入口すぐ横にはカウンターがあり、無愛想な店主が低い声で出迎えた。一帯に充満する野菜と果実の濃縮された調味料の匂い。店内を一瞥すると、昼には遅い時刻にもかかわらず客が溢れている。どうやら料理の腕は確からしい。 視線を手前まで持ってくると、一番カウンターに近い座席に肩幅の大きい銀髪の男がいることに気付いた。こちらに背を向けながらひとり料理を摘んでいる。傍らには酒。夜番明けのようだ。 「待たせたな」 ダンクスは「その男」と対面するスツールに腰掛けた。瞼を低くするマックレア・ソードウェルだが、声に反応して一瞬驚きの表情を見せると、大きく目を見開いた。 「あなたでしたか」 「随分とお疲れのようだな」 「ええ、まあ。これぐらいはなんとでもないですよ」 そう言うと傍らのビールを飲み干した。 健康をアピールしているつもりでも、空元気なのは明白である。 生真面目で過度のストレスを抱えると酒を飲み過ぎるタイプ。飽くまでイメージだが、その元凶があるとすればあの小生意気な魔法使いに違いない。 「例の件、考えてくれましたか?」 マックレアは空いたグラスを片手に俯いていた。心地よい高揚感に酔いしれているのだろう。酒に強いのか、外見上の変化はない。 「悪いが、そう簡単には決められないな」 もちろん騎士団への勧誘の話だ。返事の言葉はとっくに決まっていた。 「勿体ないですね。あなたほどの力があればどんな武勲も立てられように」 「こんな田舎で争いなど起こらんだろう。俺たちに必要なのは人を襲う魔物たちの退治だ。わざわざ騎士団に入らないとできないことじゃない」 「いえ、わかりませんよ」 マックレアの瞳が光った。先ほど彼が見せた疲労の原因は何なのか。改めて言えば、考えられる可能性はひとつしかない。 「まさか、背教者が近くに?」 脳裏にヒュルデン・ロマンサーの不気味な笑みが浮かび上がってくる。しかしマックレアは首を横に振った。 「エンヴリマの残党はひとりを残してみな捕まりましたよ。昨晩三人の背教者が出頭してきたのです。悪魔との邂逅に怯えてね」 「悪魔……?」 「昨晩、3人の背教者が悪魔と思しき男に出会ったそうです。黒いローブを身にまとっていて、フードからは2つの角が生えていたと言います」 ダンクスは腕を組んでマックレアの目を見据えた。酒は入っているが冗談を言っているようには見えない。 「文字通り悪魔の囁きってわけか」 悪魔も背教者も、神の教えに従わぬものであることに違いはない。両者に結びつきが生まれたとしても不思議ではなかった。 「そこまで穏当な話ではなかったようです。やつらは持っていた宝を奪われたそうですし」 マックレアは杖を振りかざすジェスチャーをする。 「禁呪の杖か」 「ええ。しかも屍人を甦らせるという厄介な代物ですよ」 「それってシャレにならなくないか?」 沈黙。人類史上あらゆるところで人は死んでいる。どれだけの期間傀儡として呼び出す猶予があるのかわからないが、杖のひと振りで人に害を成す化け物が出現するとは厄介この上ない。 なるほどマックレアが疲弊しているように見えた理由はこれか。騎士団は夜通し杖の捜索に走り回っていたに違いない。 「その話の文脈だと、やはり杖は見つかっていないようだな」 「聖騎士団も動いていますが、今のところは」 正しくは大っぴらに動けないのかもしれない。ダンクスはそう思った。メルクマンサのような秘境中の秘境がターゲットとなった背教者事件とでは国民に伝わる脅威は大きく違うはずだ。なにより例の一件において、「禁呪の杖の存在」に関する一切は国民に伏せられているという。その事実まで公になれば王都が混乱の坩堝と化すことは想像に難くない。 「そうか。大変なことになったな」 悪魔。奸計で以て人の心を惑わし、その弱みにつけ込んで利用するもの。先日の背教者事件で戦ったドラゴンはこれまで出会ったどんな敵よりも強かった。この悪魔はそれ以上なのか以下なのか。少なくともそいつは禁呪の杖を持ち、屍人を甦らせ使役する力を手にしている。 「いえ、これも騎士の務めです。聖騎士団も動いていますし、事件の収束も近いでしょう」 そうなればいいのだがな。ふと溜め息が漏れそうになる。 大陸の隅っこに位置する平穏で退屈なはずのスィメア国。それが隣国から逃げ延びたテロリスト数人によってここまでかき乱されてしまうとは。 もう退屈な日常は戻らないのだろうか? もし戻ることができるのなら、自分には何ができるのだろう? ダンクスはおもむろに立ち上がると、店の入口へ向かって歩き出した。 「どちらに?」 背後からマックレアの声がする。しかしダンクスは一顧だにせず、手を振って応じた。 「宿に戻るだけさ。なんかあったら呼んでくれ。中央通りの飯マズのあそこだ。入団ならお断りだが、この一件のためなら協力する」 「あの……!」 一際大きな声が響き、ダンクスは振り返った。マックレアはいつの間にか立ち上がり、真剣な目つきでこちらを見つめていた。一体何ごとだろうか。 「あの……宿に行けばカオリさんもいらっしゃいますよね?」 「……なんの真似だ?」 「いえ、せっかくの来訪ですし、ご挨拶に」 「……勝手にしろ」