雷霆が遠い空を切り裂いて世界を明滅させている。そう思ったのだが、地面に弾ける音は小さく、それが人為的なもの……つまり魔法によるものだと気づく。 昼頃馬車に乗って入ってきた東門は山岳側に位置しており、戦いが嘘のように静まり返っていた。黒い色彩に染まり存在感を失った木々たちも、無風のために木の葉一葉も揺らがせずに静かに眠っている。耳をすませば悲鳴や剣戟の音が響いてくるが、城壁のなか、まして戸内にいれば森の獣の縄張り争いか何かだと納得してしまえそうだ。 今平原では戦いが行われている。しかしまだ実感が湧かないのだった。 いつかカオリが話してくれたことがある。人はあまりに非日常的なことを説明されると現実かどうかうまく飲み込めないままに行動してしまうという。リアリティの欠如と言っていただろうか。あまりに恐ろしい選択も、よくわからないままに採ってしまえると。 小走りに前を行くダンクスがこれまでの経緯を話してくれていた。昼間ソフィアたちがエレーナから悪魔と背教者についての情報を得ていた頃、ダンクスもマックレアから同じ話を聞かされていたという。ダンクスは以前からマックレアに騎士団に入らないかと勧誘されていたが、ここでも固辞。代わりに王都にいる間に何かあれば協力すると申し出ていた。 その後前夜の一件が気になったダンクスは、街に出ている騎士団関係者に話を聞いて回った。マックレアの名前(と彼のサイン入りの騎士団推薦状)を出せばみな快く情報を提供してくれたとのことだ。 「前回は村のことであいつらに世話になったからな。借りを返すつもりでもあった」 しかしここまで大事になるとはな、とひとりダンクスがごちる。 何かあれば駆けつけるとは言っていたが、こんなに早く、しかも真夜中に要請があるとは考えていなかったのだ。 ふたりは東門から城壁に沿って平原側を目指していた。平原には南門から出るのが一番なのだが、スィメア騎士団や聖騎士御一行が陣取っていて今宵は閉鎖されているという。 「ソフィア」 「はい」 唐突に名前を呼ばれソフィアは立ち止まった。気づけばダンクスも歩みを止めている。振り返ったダンクスの鋭い眼光が暗がりにも照り輝いて見えた。 「何かあったらカオリを連れて逃げろ」 「はい。でもダンクスさんも一緒にですよね?」 「…………」 僅かな間。ソフィアは自身の心拍が激しくなっていることに気付き、思わず胸元を押さえ込んだ。 「カオリをなぜ連れて来なかったかわかるか?」 こちらを向いているはずのダンクスは、少しだけ視線を逸して闇に染まる虚空を見つめていた。その理由はすでに考えた。 「カオリさんは、この世界の住人ではないからですか?」 ダンクスは両手を腰に当てて空を見上げた。空になんて何もない。何もないものを見つめるのはソフィアに考える時間を与えてくれているからだ。その動作の意味に気付いてまだ1年も経っていない。子供の頃から知っている間柄だというのに。 「それもある。だが、本当はお前も連れて来ないつもりだった」 「なぜです? 私が足手まといだからですか?」 聞きたいけれど聞けなかった言葉が次々と口をついて出てくる。国家存亡の危機を知って理性が狂い始めているのかも知れない。 「普通に戦っても勝てる見込みがあるとは思えないからさ」 「そんな!」 ソフィアが喚いた。 「戦う前から諦めないでください! マックレアさんやエレーナさんもいます。あの時もドラゴンを倒したじゃないですか!」 「スィメア国民すべてを守りながら戦うんだぞ」 胸に杭を打ち付けられたようだ。胸部に鈍い痛みが走り、気が張り詰めて涙が溢れ始めていた。 ソフィアは無言で腕を抱える。肘が震えて悪寒が身体中を駆け巡っていくのがわかった。 「…………」 ダンクスはソフィアの頭に右手を乗せると、優しく髪を撫でた。声にならない声が吐き出される。ソフィアの身体から力が抜け、そのままダンクスの胸板にもたれかかってしまう。一瞬何が起こったのかわからなかった。自分が何をしたのかもわからなかった。 「騎士団はお国のため、聖騎士は神のため。じゃあ俺たちはどうして戦うんだ?」 ダンクスが上体を僅かに下げ、ふたりの顔が少しだけ近づいた。そしてダンクスは声を小さくして続けた。 「俺達自身の身を守るため、他に理由があるか?」 何かが爆発する音が聞こえた。おそらく騎士団か聖騎士の魔法だろう。屍人たちが再び屠られているのだ。正義も名誉もない戦い。しかしよく考えてみればソフィアもダンクスも同様だった。 「確かに今回の戦いは連中のもんだ。でも結局はこっちに降りかかってくる災厄のきっかけになる。だったら手を貸すのも悪くないだろう」 ソフィアが両腕をダンクスの腰に回した。夜露に冷えた鎧の装甲が煩わしい。そしてそれに呼応するようにダンクスの腕がソフィアの肩口をとらえた。ソフィアはまだ顔を上げられないでいる。 「自分の命を守るためなら国を捨てるぐらいの気持ちでいてほしい。国が滅ぶなら、村の連中を連れてエンヴリマにでも逃げよう。年寄りどもは怒るかもしれないが、カオリにとってもそれがいいはずだ」