放抛された斧が狙い通りに敵の右腕を捉える。間一髪避けられたが、回避のために首を締められていた聖騎士が地面に放られ解放された。 「アリーファさん!」 少女は急降下して砂埃を巻き上げる。 ソフィアが叫んだ。しかしダンクスは駆け寄ろうとする彼女を手で静止する。 「ダンクスさん! なぜ?」 ダンクスはアリーファと呼ばれた聖騎士を二度見する。首元が赤く腫れている。命には別状はなさそうだが、このまま戦うことは難しいだろう。 「知り合いか? だがここは俺に任せて逃げろ。相手はどう見ても只者じゃない」 ダンクスは砕け散った丘を睨む。噂の悪魔がゆっくりと地面に降りてくる。ソフィアは信じられないといった顔のままだ。 「随分とマナーがなっていないな」 ローブの奥で赤い目が輝いている。足元で倒れていたもうひとりの影は小さな身体を揺り動かしてこちらへ飛んでくる。どうやら例の死神らしい。 「スィメアの晩の挨拶はこうと決まっているのさ」 ダンクスはもう1振りの斧を構える。ソフィアは再びダンクスを見つめた。 一般的な騎士職は敵前逃亡を認められていない。聖騎士が悪魔と対峙したらとなればなおさらだろう。アリーファと言われる少女は気絶させておいた方がいい。事実、細身の聖騎士は目を瞑ったまま動かなかった。 悪魔はゆっくりとこちらに歩いてくる。手には金属製の杖だ。これこそ禁呪の杖に違いない。 「俺は人格者でな。セフィロト教団関係者でなければ命までは獲らないと決めている。もちろん俺の邪魔をしなければという留保付きだが」 だったら見逃してくれと言いかけたが、そうもいかないらしい。悪魔はアリーファと呼ばれた聖騎士の前で歩みを止めた。 死神はダンクスの隣に出てきて鎌を構える。確か名はエネリス。カオリの言った通り、見た目は少女のようにあどけない。髪を結んだリボンがますます幼く見せ、何かの冗談だと思いたくなる。 「お主、まさか魔将アポスタイトか?」 エネリスが目をぱちくりさせながら言葉を挟んだ。 魔将……。その名前は確か。 アリーファを再び持ち上げるために腰を下ろしかけた悪魔がその動きを止めた。 「魔将……! まさかあの魔将ですか? 魔王直属の部下とされる!」 ソフィアが早口で口走った。鸚鵡返しなど不要である。どこかの英雄譚の登場人物のように空虚な響きだった魔王。その部下たる魔将が実在していたというのか。 「そうだ。俺の名はアポスタイト。魔王直属の部下と言われるが、普段はただのアンチセフィロト崩れだよ」 その男は自嘲気味に言い放った。手にした杖を弄ぶ様を見ていると、そこまでの大物には見えない。だがこの場の惨状は彼の強さを物語っていた。 「つまり、あんたの目的はセフィロト教団の抹殺という訳か。だったらなぜゾンビどもを蘇らせて無辜の市民までを狙う?」 アポスタイトは両手を肩口で広げる。その動作はおぼろげに記憶に残るモニカ・リーヴスを連想させた。カオリよりも数十年前にメルクマンサに転生してきたゴーストバスターの女性だ。 「言っただろう。魔王軍としての命(オーダー)はビジネスなんだよ。それに国を捨てて逃げればあんな非力な屍どもに黙って殺される奴なんかいない。死ぬんだとすれば無駄な足掻きで国を守ろうとする輩だけだろうよ」 なるほど筋は通っていた。王都スィメアを狙うことは魔王軍としての任務。彼としては殺戮も辞さないことだろう。しかしゾンビを甦らせて国を襲うこと自体は彼の裁量に違いない。禁呪の杖を手に入れたのも昨日のこと。多分に彼の判断が入っていると思われた。 国の一大事に駆けつけるのは王国の騎士、そしてこの事態を招いたセフィロト教団の面々だけ。後者の抹殺が彼の望み。では前者の騎士団はなぜ犠牲となるのか。障害となるから排除は止むないということなのか。 「ですが! 王都市民は国を大切に思っています。かれらから住まいすらも奪うつもりですか!?」 ソフィアが正義感を言葉に載せてぶつけた。しかしその口元は戦き、瞳孔は震えている。ダンクスは無理をするなと声をかけようとした。 「住まいだの故郷だの、国や教会の権力者が平気で人のものを奪っていった歴史がないとでも思っているのか? お国に阿諛追従(あゆついしょう)して自分たちだけ安寧を得ようなんてちゃんちゃらおかしいんだよ」 アポスタイトの語気が強まり、それを聞いたソフィアがさらに身体を震えさせた。 「なるほど、お主はデビリッシュ。地上の亜人差別など比較にならぬほどの迫害を受けて生きてきたわけか」 エネリスが淡々と言った。デビリッシュ。確か悪魔と人間の混血児のことだ。同情の余地があることはわかったが、ここで魔将を刺激する必要があるのだろうか。 「ああ。ずいぶんとセフィロト教団には世話になったよ。視界に入っただけで浄化しようとするんだからな」 アポスタイトはそう言うと、一瞬強烈な力を放って宙に浮かんだ。気を発しただけなのに遠い向こうの草までもが揺れて見えた。 「さあ、お喋りはここまでた。5つ数えるまでにこの場を去れば命までは取らん。この女の始末だけで許してやる。いいな! 5……」 「逃げろ」 ダンクスはソフィアに言った。 「でもっ……!」 ソフィアは震えながら首を横に振った。そしてその手に持った弓に矢を番えた。 「なんだ。逃げないのか? お前たちはもう少し賢明だと思っていたがな」 アポスタイトは早くもカウントをやめた。もう、逃げることはできない。 「愚問じゃな。主の命であることは私も同じ。例えこの身が朽ちようとも逃げることはない」 エネリスは鎌を縦に構えた。 ダンクスも覚悟を決める。ソフィアだけでも逃さなければならない。 ダンクスは風の魔力を纏った。 「俺は博愛主義者でな。目の前で殺されそうになってる命は見捨てないことに決めている」 フン、とアポスタイトは嗤(わら)う。 「まあいい。あの世で後悔しろ」