『大丈夫?この間のところだけど、行ける?』
「行けますよ!一回行った場所ですし!」
『えー、だってりぶくん方向音痴じゃん』
肩で携帯を抑えて、用意しながら電話をする。
ラスノさんはいつも通り俺をからかって、というか俺が方向音痴なのは事実なんだけど…
それでもこの間の場所くらい行けるから。
「大丈夫ですほんと。ラスノさん着いて来たいだけでしょう?」
『バレた?だって気になるじゃん、彼女』
「だから彼女じゃないんですってば!」
もう切りますからね!と声をちょっと荒らげて。『ごめんごめん。じゃあいってらっしゃーい』なんて、まだ間の抜けた声をしているラスノさんには一生敵わない。
何時に来るかもわからない、名前も知らない人だけれど、どこか思うところがあって、
──だからここまで来てしまったんだ。
「…やっと、着いた。…銀座」
楽器店の銀座本店に足を踏み入れれば、ギターやらピアノやらに目移りしてしまう。この楽器店には来た事が無かったが、今までここに来なかった自分を恨んだ。
…こんなに素敵な空間。
そんな邪念を振り払い、管楽器フロアへ足を踏み入れれば、
どうしよう。もう、見つけてしまった。
上品なゴールドが輝くアルトサックスを首からストラップで下げて持ち、その凛とした姿勢で構えて、状態チェックの試奏だろうけれど、その楽器で甘美な音色を奏でている…、この間ぶつかってしまった人。
え、ちょっとまって、今、俺ストーカー臭くない?やばい?やばいか!もうどうなってもいいか!!
「バッチリです。ありがとうございました」と言って、楽器をそこで買っていたものに入れ替えこっちに向かって歩いてくるその人。
今しかない。
覚悟を決め、怪訝な目で見られることも必至だが彼女に声をかける。
「あ、の!すみません…!」
「…?え、私ですか……?
……あっ」
流れる静寂。彼女は、俺を見ながらゆっくり思い出すように…
「貴方は…、あ、この間の」
「その節は本当にすみません。あそこでぶつかったからきっとここ修理に出すだろうなって…。
あの後、連絡もなかったから楽器大丈夫かなって気になって、修理代とか、俺が払うので。」
できるだけ筋の通った言い訳で、彼女に不信感を与えないように。(詐欺のやり方では無い)
彼女の顔を見ながら話すも、表情が読めなくて戸惑いはしたけれど、
「英咲、陸さん。でしたよね…?」
「は、はい。そうです」
何を言われるだろうか。というか無言で警察に連絡されてもおかしくないだろうなあ…。やってしまった。
いやでもやってしまったというかこれをやりにきたというか、っていう感じだけれど、警察は辛いなあ。
なんて覚悟を決めていれば、ごそごそとポケットから何かを取り出して渡された。
…紙?
「ぶつかった人に連絡先だけ書いた紙を易々渡しちゃうの、危ないですよ」
私の方では連絡先に登録したり、Twitterとかで晒したりもしてませんから安心してください。なんて、言われてしまって。
まって、そういうことじゃない。
「…ありがとうございます。…で、すみません、修理代って」
「や、そんな…。全然大丈夫なんです…!直りましたし、そんなにかかっても、ないから…」
そんな言葉は紡がれながら、彼女の視線は宙を舞う。
表情が読めないのか、読めるのか、わからなくて。ちょっと面白い。
「絶対それかかってるやつじゃないですか…。そうなってしまったのも俺のせいですし、何もしないなんて出来ないんで、本当。せめて修理代だけでも…」
「……割り勘、なら」
本当に悩んで、妥協したんだよ。そんな風に出た、その言葉。
被害者は彼女なのに、俺には裁きを与えないような、そんな言葉。
…なんか、この人可愛い。
「俺は出来れば全額お支払いしたいんですけど…、」
「それは、そんなことさせられません不可抗力ですし…!」
「…わかりました。俺が折れますから」
ホールドアップの状態で、彼女に俺は折れた。
いくらですか?なんて、もうここで会うのが最後だろうから、早く払わないと。と思って聞けばまた、宙を泳ぐ視線。
「…ご、ごまん…」
「まぁ、楽器ですもんね。待ってください、今封筒を…」
口を濁して、出てきた言葉。彼女にとっては5万は大金なんだろう。確かに、ほいっと出せる金額では無いものの、俺くらいの年になれば、苦しい訳でもない。独り身だし。
…この子は、若いんだろうな。
わたわたとしている彼女を見ていた。