go down the rabbit holeA
装飾の施されたドアが開かれると、店内に"うさぎのおにいさん"と店員達の元気な声が響いた。
「ご新規様一名入りま〜す!」
「いらっしゃいませーーー!!」
自分とは縁の無い世界の熱狂を、洪水のように浴びせられる。客席から発せられる活気と大きな笑い声に心臓が忙しなく動くのを感じ、持っていたままの看板を握り直す。連れてこられた店は、まさかのホストクラブだった。
「初来店だから、お試しってことで場内指名っていう料金システムにするね?一番安いやつだから安心して」
「あ、はい」
「ごめんね。着替えてくるからちょっと待っててくれる?」
「はい。えっと……早く戻ってきてくださいね?」
「う、うん!」
不安になり縋るように頼むと、何度も頷いて駆け出した彼の後ろ姿を見送る。いきなりのことに驚いたが、どうやら悪い人ではなさそうだ。緊張を解すのに大きく息を吐くと、様子を見ていた大柄な店員さんに話しかけられた。
「大丈夫ですかお客様?」
「えっ?」
「──っ!?お顔に血が!」
声がでかい。
「え?顔汚いですか?」
「いや!?違っ!そうではなくて」
スーツの裾でゴシゴシやたらめったらに顔を擦ると、驚いた店員が止めようとアタフタしている気配がなんとなく感じられた。二人して出入口で騒いでると誰か別の人の近づく足音が聞こえた。
「どうした谷垣。声を抑えないか」
「月島さん!……シライシが連れてきたお客様の顔から血が出ていて」
「なんだと」
声の方向に顔をあげると、覗き込むように自分の顔を見ている男性がいたので思わず後退りしてしまう。顔が近い!
「失礼ですが、シライシとはどういうご関係で?」
「う、うさぎのおにいさんはシライシさんという方なんですね。彼の案内で此処に来ました」
私は話を続けようとするが、新たな来客が入ったため口を噤んだ。
「とりあえず2階のバーへご案内をさせていただきます。お話はそこで。谷垣」
「はい、シライシにも伝えます」
谷垣という店員さんが無線機に話している間。この店舗のリーダーなのだろうか?呼んだスタッフに看板を渡して指示を出したり、温かいおしぼりをくれたり。キビキビと次の行動を決めてくれた月島さんが此方を見る。
「どうやら、うちの店の者がご迷惑をおかけしたようで。看板までありがとうございます」
「いえ。シライシさん酔っ払い二人に絡まれて大変そうだったので。これは私が勝手に心配した結果なので、彼を責めないでください」
「──承知しました。ですが、貴方の傷を癒やす手伝いは、我々にさせていただきたい」
すぐ表情は戻ってしまったが、厳しそうな顔に浮かべられた穏やかな笑みにドギマギしてしまう。これがギャップ萌えというやつか。
「ひっ、ひゃい」
「ン゛ンッコホン。失礼」
「いえ……不慣れですみません。ホストさんってそういうお話のされ方をするんですね」
「全員が全員、同じ話し方をするわけではございません。ホストにも個性がありますので」
「あ、そうか」
「優しくされたい。楽しく飲みたい。非日常空間で騒ぎたい。つれない態度を取られたい。愚痴を聞いてもらいたい等、目的に合わせて利用されるお客様がおります。その様々なニーズに応えるのが私達の仕事なのです」
「す、すごいですね」
(人間の業って感じがする)
「ありがとうございます。──さて、この2階のbarは静かに飲みたいお客様が過ごす空間です」
二人に案内されるがまま歩んだ先は、落ち着いた雰囲気が帳を下ろす静穏な空間だった。
「2階は予約制なので、まだ他のお客様が来るまで時間があります。お好きな席でごゆっくりお過ごしください」
「はい。ありがとうございます」
月島さんはそう言うと、カウンターでグラスを拭いていた男性に声を掛けた。