虎の眼
「シライシさん寝ちゃいましたね」
「まったくこいつときたら……」
起こそうと何度か肩を揺するが、当の本人はくかあと寝息を立て続けている。
「お疲れみたいなので、このまま寝かせておきましょうか」
「客ほっといて寝る馬鹿があるか。みょうじさんはシライシに甘すぎだ」
「キロランケさんのサービスも甘やかし具合すごかったですよ!?あの、今回は私が潰したってことにしといてください」
楽しい時間を過ごせましたから、と靴を返された彼女は笑って告げる。客本人が気にしていないならあまり憤慨し続けていてもよくない。場の雰囲気というものがあるからだ。俺は寝こけているハゲ坊主を見下ろし、秘かに決めた。
(起きたらがっつり説教だ)
「ではヘルプを呼びましょうか?」
「ヘルプ?」
「簡単に言うと代わりの者です」
「もう既に両手に花な状態なのに?」
大満足といった顔の彼女から他意を感じない。その初々しさに混じる実直さは"昔から"何も変わっていなかった。真面目で、緊張した時の癖や世話を焼きたくなる態度も。他人の話を真正面から聞く姿も相変わらずで、好感が持てた。
「安心しました」
「え?」
「次回の来店も考えてくださってるようなので」
「あれだけやられたら皆来るのでは?お髭のフェアリーゴッドマザーさん?」
「はははははっ!」
誰にでもあんな対応をするわけないだろう。
自分が獲物になっていることに気づかないのも変わらないらしい。
「貴方の王子様にはなれなかったのは残念だが、もう魔法は解ける時間だな」
「あ、次の予約の方の……」
腕時計を確認して呟くと、ふぅと溜息を吐く彼女。名残惜しく思ってくれるなら、臭い台詞を吐いたりした甲斐があるってもんだ。会計後、釣り銭を渡す際に手を握れば、アルコールとは違う赤みが顔を染める。
「次会えるのを、楽しみに待ってる」
「はい!」
店の名刺を渡すと大事そうに手帳に挟んで仕舞うので、自分までもが大切にされていると錯覚してしまいそうになる。
別れ際、階段を降りていく背中を見つめながら、次はどの酒を薦めようかと俺は一人余韻に浸るのだった。