03

(じゃあ、あれはお母さんじゃなかったのか…残念)

あの空間の揺らぎを信用し始めていた仄華は落胆した。
ただの妄想だ。仕方ない。
そう思っても俯いた彼女は動けなかった。


「…」
「思考が追いついて無いみたいです」
「だろうな…」
「え、どちらへ」
「便所。お前らも一息入れろ。まだ説明することはあるからな」
「はーい」

ダニエルが取調室から退出する。
途端、室内に残った女性警官の一人が仄華に話しかけた。

「貴女日本にいたんでしょ?どんなところ?忍者っている?京都に行ったことは?私あの舞妓さんの格好してみたいのよ!そういえばこっち来た時着てた着物はどうしたの?あれをもっと近くで見たいんだけど!」
「…(むっちゃ喋るなこの人)」

日本文化が好きらしい女性警官は、マシンガンのような勢いで仄華に質問を投げ掛けた。
仄華が返事に困っていると、筆談用に渡された紙に質問を書き始めた。

(漢字、書けるんだ…)

読めるけど、所々間違えている。
だが、意志疎通を図ろうとしている警官の努力を仄華は笑わなかった。

(さっきの警部補さんも、私のボディランゲージを笑わなかったし)

貸してもらったボールペンで多くの質問に答えていく。
一つ一つに歓声や感嘆の声をあげる女性警官に同僚が翻訳を求め、数拍後に同様の声が上がる。
ダニエルが戻ってきた時、室内は先程よりも盛り上がりを見せていた。


「「「うおーーっ!スゲーーー!」」」
「うるせぇ」
「あ、お帰りなさい警部補」
「何騒いでんだ」
「日本のマンガキャラクター描いてもらってました!」

見せてきた紙には彼でも見たことがあるようなキャラクターが並んでいた。

「へぇ…上手いな」
「ですよね!ねぇ貴女、似顔絵捜査員にならない?」
「馬鹿。試験があるし他の仕事が出来ないだろう」
「「「あぁ〜…」」」

落胆の声が複数上がった後、警部補は仄華の前にココアが入ったマグカップとドーナツを置いた。

「二日間点滴以外何も食って無いだろ。好きな分だけ食べていいぞ」

室内に甘い薫りが満ちる。
箱の中にはプレーンのリングドーナツに、粉砂糖がかかったツイストドーナツ。ミートパイやチュロスなど、豊富な種類が収まっていた。彼女の腹の虫が空腹を告げる。
サッとお腹を押さえるが音は聞こえていて笑われる。
仄華は赤面しつつ、ドーナツに視線を戻した。

(うわぁ〜おいしそうっ!)

「どれ一番最初に食べるかな?」
「やっぱりチョコかしら」
「食べごたえあるのはミートパイとツイストドーナツだけどな!」
「俺チュロスに100ゼーロ!」

警官達が好き勝手言いながら見つめていると、彼女はいただきますと挨拶した後手を伸ばした。
最初に口の中に運んだのはダニエル・ロウ警部補が入れたココア。
ドーナツ類に賭けていた警官達は全員崩れ落ちた。

「……美味いか?」
おいしい!

笑顔と共に、空白部分が少なくなったメモに感想とお礼の言葉が書かれる。
そして、彼に向かってまだ手をつけていないドーナツが差し出された。

「みんな君の分だぞ」

引っ込む気配は無い。
仕方なく、警部補は彼女の手に持ったままのドーナツにかぶりついた。
生クリームとカラースプレーの甘味が口の中に広がる。囃し立てる周りの部下達の書類提出期限を短くすることを誓いながら、彼は完食した。

「…ごっそさん」

返ってきたのは、掲げられた2個目のドーナツ。
取調室は今日一番の爆笑に満たされた。

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