euphoria


Blue


もうすぐ帰って来る時間だから、玄関へ行き鍵を開けた。すると丁度向こうからヒールの音がしたから、ドアを開けて出迎える。

『おかえりぃ』

ドアの向こうから俺に笑顔を向けて「ただいま」と言った#name1#に背を向けリビングに入る。すると急に後ろからぶつかるように抱き付かれ驚いた。

『...わ、どうしたん?珍し』

笑いながら問い掛けるけれど、言葉が返ってこないばかりか、切羽詰まったような溜息が聞こえて来た。振り返ろうとしたけれど、見るなと言わんばかりに胸の前に回した手で俺をぎゅっと抱く。だから諦めて、その手に掌を重ねぽんぽんと叩いた。すると、背中に額を擦り付けるような仕草をした。

『...大丈夫?』

出来るだけ優しい声色で問い掛けてみるけれど、やっぱり返事は返ってこない。だから暫く大人しく抱かれたまま、その手を労わるように大事に摩っていた。

少し経つと、大きな深呼吸が聞こえて吐息で背中が熱くなる。吐き出された#name1#の吐息が震えているように感じたから、少しだけ胸が痛くなった。話し出そうとする素振りを何度か見せるけれど、何度もそれを飲み込んで、漸く#name1#が言葉を発した。

「...頭にくること言われたの。上司に」

俺からは見えていないのに、無理して笑顔を作っているような精一杯の明るい声色は、やっぱり少し震えていた。
泣きたいなら、泣いたらええのに。馬鹿にしたりせぇへんのに。俺の前で我慢なんかすることないのに。

『...うん、なんて?』
「...言わないけど。泣いちゃいそうだから」
『あは、そうなん?』

本当に今にも泣き出しそうに語尾が震える。けれど何も言わず気付かない振りをしてやった。
見せたくないのなら、見せなくてもいい。だって笑ってる方が可愛いもん。
...嘘。ちょっとだけ、見たい。...胸はぎゅーって苦しくなるけど。俺の前でだけやったら、泣き顔だって嬉しい。いや、嬉しくは...ないか。
けど、俺にしか出来へんこともあるんちゃうかなぁ。

「...それからずっとイライラしちゃってね、」
『うん』

ポツリポツリと明るく話す声はやっぱり無理をしているようで胸が痛い。
けど聞くよ。ちゃんと聞いたるよ。それで気持ちが落ち着くなら、愚痴くらいいくらでも聞いたる。

「...そしたら、色んな事が上手くいかなくなっちゃってね、」
『うん』
「...生理になるし」
『あは、うん』
「...お腹、痛いし」
『うん』
「...頭も痛いし、」
『ん』

#name1#の言葉が途切れて、背中に掛かる息遣いが変わった。こくりと喉を鳴らす音と、時折息を詰めるような呼吸を聞いて、胸の前の手をやんわり解いた。くるりと向きを変えて向き合えば、顔を見せることもないまま#name1#が俺の首筋に顔を埋める。その頼りない体を抱き締めて、急かすことなく背中を撫でる。

「...なんかね、もう嫌になっちゃった...、」

完全に涙声になった弱々しい#name1#の声と、荒くなる呼吸を抑えるように繰り返される深呼吸。

『...うん、そやな』

その言葉で肩がじわりと滲んで温かくなった。
なんやねん、俺が泣かせたみたいやん。
慰め宥めるように優しく背中を叩き、頭を撫でてやると、背中に回った腕がまたきつく抱き締める。

「...仕事、行きたくない、」

それ、いつも言うてるやん。
...けど、ほんまに行きたないんやろなぁ。

『あは、1日くらい休んでみる?』
「...無理、...甘やかさないで」

逆に怒られてもうた。
けど、いくら行きたない行きたない言うても、結局休むことなんてないのは知ってる。

『#name1#を甘やかすのが俺の仕事やろ?』

黙った#name1#が鼻を啜る。息を詰めるような呼吸は、きっと涙がとまらなくなったから。
それでええよ。全部出して、リセットしたらええねん。

『だから、安心して好きなだけ頑張ってきたらええよ』

また辛くなったら、ちゃんと受け止めたるよ。いつでも飛び込んで来られるように、腕広げて待っとくから。

『ちゃんと見といたるし、俺がちゃんと褒めたるよ』

小さく頷いた#name1#の髪を撫で、髪に唇を押し付ける。すると嗚咽が漏れ始めたから背中を包み込むように抱き締めた。
ちゃんと想いが伝わるように。また踏み出すための力を、分け与えるように。彼女の力の源になれるように。


End.

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