Sentimental
『なんかアレやなぁ?...疲れた感じ』
「...そう?」
『ん。行こか?』
「...いい、もう遅いから」
気持ちを落ち着けて自分の中で消化してから会おうと思って断ったのに、声を聞いたら余計に気持ちが滅茶苦茶になってしまった。結局ひとりでここに居ると、私といない間の章ちゃんのことが気になってしまう。
通話を終えた携帯を見つめてじわりと目が霞む。その目を閉じて溜息を付いた。
苛立っているのは、章ちゃんにではなくて、自分に。愛されているとわかっているはずなのに、どうして不安になってしまうんだろう。
何度繰り返したかわからない。不安になっては安堵して、いつしかまた心に靄がかかってくる。
章ちゃんを信じてないわけじゃない、なんて、ただの都合のいい言い訳でしかない。結局私は章ちゃんのことも信じてあげられていないのかもしれない。
どうして章ちゃんだけを信じていられないのだろう。何故顔も知らない誰かが言ったことが気になってしまうんだろう。自分の心の弱さに、本当に苛立つ。
章ちゃんがこの仕事をしていなかったら、こんなに悩むことはなかったんだろうか。
不安になったら普通に友達に相談して、話を聞いてもらって。...そもそも、不安になること自体なかったのかもしれない。
暫くすると、玄関でカチャリと鍵が外れる音がしてドキリとした。一瞬で理解して慌てて涙を拭うと、ドアが開く音と共に『ただいまぁー』と呑気な声が聞こえる。
リビングのドアが開いて愛しい顔が覗くと、私を見て章ちゃんの口角が上がった。
『ただいま』
「...私の家」
『あは、機嫌悪ー』
「...来なくていいって言ったのに」
『だって今日はこっちのが近いもん』
冷たくしたいわけじゃないし、当たりたいわけでもない。けれど、こうしていないと自分の弱さが見透かされてしまう気がして目を合わせることすら出来ない。
当たり前のように私の家の冷蔵庫を開けて、自分の物みたいに缶ビールを取って流し込む。浅漬けを見つけた時はさすがに『食べていい?』と聞いてきたけれど、そんな当たり前を見ていると、ますます複雑な気持ちになる。
『なんか服あったっけ?明日着てけそうなやつ』
「...ある」
ソファーの私の隣に座りながら頷いているし、明日の朝は家に帰らずに直接仕事に行くからゆっくりしていられるということなんだろう。それだけで少し安心してしまう私は、本当に単純で面倒臭い女だ。
視界に突然缶ビールが現れたから視線を上げると、飲みかけのそれを浅漬けを見つめながら私に差し出して『飲む?』と章ちゃんが聞いた。
「...いらない」
くるりと私に顔を向けた章ちゃんは黙って私を見た後、缶ビールを引っ込めて視線をまた浅漬けに移した。
『また泣いてるやん』
“また”という言葉にドキリとした。最近は章ちゃんの前で泣くことなんかなかったのに、“また”ってことは、今までの隠した涙に気付かれていたということ。今日も本当は家に来てすぐに気付いたけれど、気付かない振りをしていたのかもしれない。
「...ほっといて」
その優しさに気付いてしまったらまた涙が滲んだ。
こんな言い方するつもり、なかったのに。放っておいて欲しいわけでもないのに。いつだって私より大人で心が広いから、その優しさに甘えてばかりになってしまう。
『...俺のせい?』
章ちゃんが少し笑っていた。
...全部わかってるみたいで狡い。章ちゃんが悪い訳じゃないのに、“せい”なんて言葉、狡い。
「...違う、」
『ほんまにぃ?』
私の方を向いて顔を覗き込み、からかうように笑いながら章ちゃんが言った。
...だから、いつも余裕たっぷりで狡い。
「…違う」
『ならええけどぉー』
ビールを煽ってゴクリと喉を鳴らしたその横顔を見ていたら、口角は僅かに上がったまま、その目はどこか一点を暫く見つめていた。
ぼーっとしたままビールを口へ運び、それを飲み干すと空の缶をテーブルに置いた。
今何を考えているんだろう。
面倒臭い女だと思っているかもしれない。言いたい事ははっきり言えと思っているかもしれない。
もしかしたら章ちゃんは、章ちゃん自身を責めているのかもしれない
『...逃げたりせぇへん?』
突然投げ掛けられた質問の意味を理解してドキリとした。何から逃げるのかと考えたら、それは“章ちゃん”だから。
言葉のわりに明るい声色に、章ちゃんの優しさが滲んでいる気がした。
「...何言ってんの、」
私の返事は、戸惑いが丸出しだったのだろう。章ちゃんが私を見てから顔を逸らし、ふっと笑った。その目がまた私に戻って来て目が合うと、いつものように笑いながら章ちゃんが言った。
『ごめんなぁ。#name1#と一緒に居りたいから、離したれへんねん』
ポンポンと2回、頭に手を置くように撫でて、手が離れると共に章ちゃんも前を向いた。
『だから、逃げられたら困る』
誤魔化すように無邪気に笑いながらの言葉に、章ちゃんの不安が見えた気がして涙は堪えた。泣いてしまったら“章ちゃんのせい”と認めるみたいになってしまいそうで、絶対に今は泣かないと決めた。
「...章ちゃん」
『うん?』
「................、」
ごめんね、と言おうとしたけれど、それすらも章ちゃんを疑っていたと認めることになりそうで飲み込んだ。
『...わかった』
思わず章ちゃんを見ると、優しく笑いながら私を見ていた。
『何言いたかったか、わかった』
いつだって章ちゃんには敵わない。私より私のことをわかってるんじゃないかと思うくらい。
「...なに、」
『“章ちゃん大好き♡”』
思わず笑った。本当にそう思ったのかはわからないけれど、私の心の大部分はそれなのだから間違いない。
体を私に向けて口を手で覆って笑う章ちゃんの片手が私の腕を掴んだ。
『えぇ?ちゃうのぉ?』
「...それでいいや」
聞こえなくてもよかった。小さく呟いて顔を上げると、章ちゃんが私を覗き込むように見て笑みを浮かべる。
『でも、好きやろ?』
頷く前に掴んだ腕を引かれて唇が触れた。抱き寄せるように背中に回った腕に包まれて感じる体温に、また今日も徐々に心が満たされて、更に好きを重ねる。
End.
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