euphoria


Fever


インターホンを押すだけで、なんとなく緊張してしまう。...緊張、とは違うかもしれない。何だか妙にそわそわしていた。それくらいこのマンションに来ていなかったから。
けれど、二度インターホンを押してみても応答がないから、あまり使ったことのない合鍵でロックを解除した。

少し前に、もうすぐ帰れると言っていたから、もう帰って来ているかと思ったのに。
部屋の鍵を解錠して玄関のドアを開けると、やっぱり真っ暗な部屋の中。電気を点けて部屋を見回せば、久し振りに私が来るからか普段より綺麗に片付いていた。それなのに飲み掛けのペットボトルが置いてあったり、流しに洗い物がたまっていたりするから、何だか章ちゃんらしい。

流しにある食器を洗いながらお湯を沸かしていると鍵が開く音がして、ただいまぁーと間延びした声が聞こえた。リビングのドアがカチャリと開いて覗いた章ちゃんは、黒いマスクに隠れて口元は見えないけれど、目だけ見ても優しい顔で笑っているのがわかる。

「おかえりー」
『ただいまぁー』

2回目の挨拶をした章ちゃんがキッチンにやって来て私の隣に立つと、またニッコリと笑って私を見た。

『ごめんな、洗い物まで手ぇ回らんかった』
「うん、大丈夫」
『久々過ぎてなーんか変な感じー。#name1#が居るの』

章ちゃんに笑顔を向けると、手に小さなビニール袋が下げられているのに気付いた。すると章ちゃんが、着替えてくるな、と言って手にしていたバッグにビニール袋を押し込みながら寝室へと向かった。

2人分のコーヒーを淹れるためにカップを用意していると、モコモコした部屋着に着替えた章ちゃんが寝室から出て来てソファーに座りテレビを点けた。
カップにコーヒーを注いでソファーの前のテーブルに運ぶと、章ちゃんが篭もった声で『ありがとぉ』と言った。

隣に腰を下ろしながら、...なんか違和感。あ、そうか、マスクをしてるからだ。
カップを手にした章ちゃんがマスクを付けたままカップを口元に近付ける。

『あ、飲まれへんわ...』

ひとりでボソッと言って片手でマスクを顎下まで下ろした章ちゃんを見て思わず笑みが溢れる。
一口コーヒーを啜ってまたマスクを鼻まで戻しテレビに目を向けた章ちゃんの横顔を見た。さすがに少し疲れたような目をしているから早く寝させてあげたいけれど、きっと私が居ることで遠慮しそうな気もするから、ちょっと心配。
すると、ぼーっとテレビを見つめていた章ちゃんがくるりと私の方を向いた。

「マスク取らないの?」
『んー』

だっていつもはしてないから。部屋に入ったらすぐにマスクをゴミ箱に捨てるし、部屋の中でしているのは風邪の時くらい。けれど今は鼻声だとか、咳をしている様子もない。

「家なのに?」

キョトンとして私を見た章ちゃんが笑って首を傾け、覗き込むように私と目を合わせた。

『なん、キスしたい?』
「...違う、」
『んふふ』

私が一瞬目を逸らすと、面白がるように笑って顔を近付けるから、手にしていたカップのコーヒーを零さないように章ちゃんの肩を押した。
そして、はっとして章ちゃんを見れば、笑みを浮かべたまま私から離れて俯いた。

「...なんか...体、...熱くない?」

少しの沈黙のあと顔を上げた章ちゃんが誤魔化すようにへらりと笑う 。

『あは、熱あんねん』

あまりにも普通に、悪びれなく当たり前のように言うから、思わず目を丸くした。
...あ、さっき持ってたビニール袋、薬局の袋だった。

「...何で言わないの!」
『だって言うたら帰るやん』
「............。」
『そんなん寂しいもん』

伺うような目で私を見る章ちゃんは、マスクの下でやっぱり笑っているから思わず笑った。

『移さへんから居って』
「別に移ったっていいよ」
『そうなん?』

その言葉を待っていたかのように、章ちゃんが距離を詰めてマスクを顎下まで下げ、弧を描いた唇が私のそれに触れた。熱い唇がすぐに離れて。んふふ、と声に出して笑った章ちゃんに引き寄せられると、いつもより高い体温が私を包んだ。

「...あつ」
『...そ?』

体を押し付けるように体重を掛けられソファーに倒れ込むと、章ちゃんの唇が首元にキスを落とし舐め上げた。その舌の熱さにぞくりと鳥肌が立つ。そこに更にやわやわと歯を立てたりするから、いつか章ちゃんがしていた話を思い出して肩を軽く押した。

「...さすがにやめとこうよ、」

一瞬にして不満気に尖った唇が愛しい。項垂れた章ちゃんが片腕を私の腰の下に回して、胸の上に横向きに頭を乗せテレビの方を向いた。顔は見えないけれど、はぁー、っという長めの溜息が不機嫌さを滲ませている気がして、回した手でポンポンと背中を叩いた。

首を傾けて章ちゃんを覗き込めば、虚ろな目でぼんやりとテレビを眺めているし、私のお腹に当たる章ちゃんの胸からいつもより早めの鼓動を感じて、さすがに少し心配になる。
...と思ったのに。

「...どこ触ってんの』
『んふふ、おっぱい』

顔を上げて私を見た章ちゃんはいつも通りで、私の胸をやわやわと触りながらふにゃりと笑う。

『なぁなぁ、...あかんの?』

ソファーに手を付いて私から体を浮かせた章ちゃんが、伺うように私を見た後に触れるだけのキスをした。
...ダメだよ、わかってるのに。

『...ちょっとだけ。...な?』

そんなに囁くみたいに誘うなんて狡い。
機嫌を取るように唇を啄みながら、髪の中に差し込まれた手がくしゃりと私の髪を乱した。

『お願い、#name1#』

熱を持った唇に塞がれて熱い舌を絡められたら止められなくなってしまった。
...熱、上がっても知らない。
いつもより熱い吐息を漏らす唇が、勝ち誇ったように口角を上げて私の体に触れた。


End.

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