02
01の前。はじまりの日。
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全校集会で同じクラスの女の子が倒れた。騒然とする生徒達の間をすり抜けてやって来た安田先生は、声を掛けながら小さな体のわりに軽々と女の子を抱き上げた。
小さくなっていく先生の後姿を見ていたら、よくわからないけれど気が焦って、どうしようもなく胸にモヤモヤが充満した。
胸がドキドキしている。なんでだろう。何だか泣いてしまいそう。
あの子は病人なのに、先生は仕事なのに、私は何をこんなに焦っているんだろう。
集会が終わってから、担任の先生に具合が悪いと告げて保健室に向かった。
緊張ではない胸のドキドキが大きくなる。それが苦しくて、想いが溢れそうで奥歯を噛み締めた。
『#name2#さん、どうしたん?』
「...先生、...」
ドアを開けて立ち尽くす私を見て、机に向かっていた先生が立ち上がって私に歩み寄る。体を支えるように肩を抱かれ移動すると椅子に座らされた。
『体調悪いん?』
先生の優しい笑顔が胸を締め付ける。
口を開いたら泣いてしまいそうで口を噤んで俯いた。
『...悪いのは、心の方みたいやね』
頭に置かれた先生の手のせいで、耐えていた涙が溢れた。
先生のことがこんなに好きになっていたなんて思わなかった。
何かと理由をつけては保健室に通って、先生の笑顔を見て話をして、いつも楽しくて幸せで、恋を満喫していたはずだったのに。
『そんな日もあるよなぁ』
笑いながら膝の上に置かれたボックスティッシュをただ見つめていた。頭にある手が優しく髪を撫でるから、涙がなかなか止まってくれない。
『せんせー』
『はーい!ちょっと待っててー』
開いたドアから覗く生徒の視線を遮るように私を庇ってまた肩を抱くと、カーテンを開けてベッドに座らされる。笑顔を向けてからそっとカーテンを閉めると、生徒の元へ行ってしまった。
『保健室に来てる割にいつも元気やな』
なんて笑われていたけれど、そっちの方が良かった。こんな情けない姿は見せたくなかったのに。
『#name2#さん、ちょっと休んどき。先生には上手いこと言うとくから』
カーテンに先生のシルエットが写って、小さな優しい声で私に言った。見えるはずもないのに、声が出せないから何度も頷くと、それが伝わったかのように先生が笑った気がした。
『お、復活やー』
「...すいませんでしたー」
暫くしてカーテンを開けると、すぐに振り返った先生の笑顔。
『いいえー。何かあったら、いつでもおいで』
「...うん」
嬉しいのに痛い。想いが大きくなり過ぎて、みんなに優しい先生の声も笑顔も、何だか苦しい。
ペコリと頭を下げて保健室を出た。
授業に出る気にはなれなくて、初めて授業をサボって、初めて屋上の扉を開いた。
コンクリートの壁に凭れて溜息をつく。自分でもよくわからないこの焦りに自分自身が戸惑っている。
気付いて欲しい。けど気付かれたくない。この想いに気付かれたら、拒絶されてしまうだろうか。それなら黙っていた方がいい。
空は真っ青なのに心は靄がかかって真っ白だ。ただひたすらぼーっと空を見上げていたらチャイムが鳴った。ついさっきも鳴っていたから、今のは授業開始のチャイムだったんだろう。けれど重い腰を上げられないまま、何度目かわからない溜息をついた。
私の凭れる壁の向こう側で屋上の扉が開く音がした。慌てて立ち上がり身を潜めると、足音と共にカチ、と小さな音が聞こえる。ほどなくして煙草の匂いが鼻を掠め、壁から顔を出し、フェンスに凭れるその姿を確認した。
煙を吐き出しながら空を見上げていたその視線が動いて私を捉えた。隠れる暇さえ与えられずにただ動けずにいたら、その目がじっと私を見つめる。
携帯灰皿に煙草を押し付けて、私の方に歩いて来た。
『見られてもうたー』
「...見ちゃった」
意外すぎるその光景と今のこの状況に、次第に鼓動が早くなる。
『サボり?』
「...や、」
『サボりやろぉ。他に何があんねんな』
いつもの優しい口調とは少し違った印象の話し方をする安田先生を横目でちらりと見た。
「...先生って、煙草吸うんだね」
『んふふ』
やっぱり、いつもと違う感じがする。保健室じゃないからか、それともいつもと違う姿を見てしまったからか。
『ガッカリ?』
「...え?」
『先生ってそんな人やないと思ってたぁー、...みたいな?』
「...ううん。ちょっと意外、だったけど」
先生が納得したように笑って何度か頷いた。私の隣で壁に凭れた先生が、覗き込むように微笑みながら私を見るからドキッとする。
先生の背中が壁から離れて、私の顔の左側に先生の肘が付かれじっと私を見つめる。ドキドキして、体が動かない。
『内緒にしてくれへん?』
十数センチまで顔を寄せられ、囁くように先生が言った。息をするのも躊躇う程に近い。
いつもと違うその笑顔は、何だか少し意地悪な微笑みに見える。先生だけど、先生じゃないみたい。
「...うん、...言わない、」
『ほんなら、サボリも黙っとくな』
「......あり、がとう、」
『ここで会ったことは、秘密』
...な?、と最後に耳元に唇を寄せて先生が離れた。ドキドキしてゴクリと唾を飲んで先生をちら、と見る。やっぱり意地悪な笑顔に見える吊り上がった口角が、なんだか悔しい。私で遊んで面白がってるみたい。
私の視線に気付いて先生が私を見て首を傾げる。笑いを堪えているような含み笑い。
「...そんなことすると、好きになっちゃうよ」
いつもと違う今の先生になら、言える気がしたから言った。だってこんなことする先生が悪い。
大丈夫。こんな言い方なら、まだ冗談で済ませることが出来る。
顔色一つ変えず、微笑みすら崩すことなく先生が私を見ていた。俯いて溜息みたいな息を吐き出して、先生が言った。
『多分さぁ、#name2#さんが思ってるんと、違う気ぃすんねんなぁ』
「...なにが」
『俺。』
「..........。」
『...うん、多分ちゃうわ』
それはつまり、拒絶なのかもしれない。傷付けないように遠回しに。
『なったらええんちゃう』
「...え、」
『好きに、なったらええんちゃう?...想像と違ったーとか言われても、そんなん知らんけどぉ?』
...うそ。...いいの?本当に、好きになってもいいの?
心の中の問い掛けは声にならずにただ先生を見つめた。先生は相変わらず笑っていてよくわからない。本気なのか、ただ、私をからかっているのか。
先生が言った『思ってるのと違う』は、こういうところかもしれない。だって、普段の先生からは想像もつかない。
『文句言わへんなら、どうぞ』
「...本気?」
『...ま、付き合うたらへんけど』
何それ。やっぱり嘘なんじゃん。
からかうなんてひどい。あんなことしてドキドキさせておいて、狡い。
『今はな』
「...今は、...?」
私の小さな呟きに、俯いていた先生の視線が私に移った。口元の笑みは消えていて、鋭い目が射抜くように私を見つめる。
次の瞬間、後ろの壁に張り付けられて、驚いているうちに先生の唇が押し付けられた。唇が離れると、息を吐き出した自分の唇が震えていた。それをもう一度先生の唇が食んで、リップ音を立てて離れた。
『教師やのに、生徒にこんなことすんねんで』
「............、」
『それちゃんと理解して覚悟した時に、付き合うたるよ』
激しいキスをしたわけではないのに上手く呼吸が出来ない。信じられない程早い展開に、頭が付いて行かない。どうしよう、ドキドキする。
顔を上げれば先生と目が合って、ただ私を見ていた。
「...先生は、」
『...なに?』
「.......先生は、どうなの、」
私だけ?
他の生徒にもしてるの?
こんな顔、誰かに見せてるの?
私のこと、どう思ってるの。
『俺のもんにしたい』
その言葉の真意が知りたい。
私はただのオモチャにはなりたくない。
絡んだ視線が外れないまま懇願するように拳を握り締め息を呑む。
『...待つよ。もう半年待っててんから、待つ』
私だけを映した先生の瞳に吸い込まれそうだ。
「...いいの、?」
『“先生のくせに”?』
「............、」
『好きやねんもん。...他にどうしたらええの』
狡い。大人の余裕なんだろうか。
私が断ることなんか考えていないみたいに。私の気持ちなんか、最初からわかってたみたいに、先生が笑う。
「...ずるい、」
『せやから、それでもええなら、て言うてるやん』
「...いいに決まってるじゃん、...」
ふっと笑った先生の手が頭をポンポンと撫で、その手がフェイスラインに添って下りて頬を包み私を見つめる。
『......やっぱり、今からでもいい?』
「.......ん、」
『ええよな?』
さっきとはまた違う優しいキスで塞がれた。ゆっくりと再び壁に押し付けられて何度も唇が触れる。
キスの合間の色気のある先生の吐息のせいで胸が高鳴る。包み込まれる様に強い腕の感触と溶かされる程に濃厚な大人のキスに侵食されていくみたい。
こんな先生知らない。私以外の誰も、知らなければいい。こんな先生、誰にも見せたくない。
私だけの先生になればいい。
End.
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