euphoria


幸せの行方


『なぁなぁ、今日さ、カラオケとか行かへん?』
「うん。いいよ」
『おっしゃ!行こ!』

満面の笑みで言った隆平が『待っとって!』と言ってゴミ箱を掴み教室から出て行った。
それを見送って、こっそりとポケットからリップクリームを取り出し、鏡を見ながら薄く唇に伸ばす。

“ むっちゃええ匂い!
 ...キスしたくなんねんけど、”

そう言われたあの日から、隆平の前でリップクリームを塗れずにいる。頬を染めて笑ったあの時の隆平を思い浮かべて、今度は私が 一人頬を染めた。
最近本当に、恋する乙女だと自分で思う。今まではこんなんじゃなかったのに、隆平といると完全にペースを乱される。

『#name1#』

びくりとして慌ててリップクリームをポケットにしまったものの、私を呼んだのは隆平の声ではない。

振り返れば、立っていたのは隆平と付き合う前の元彼だ。
隆平と付き合うのを渋っていたのは、別れたばかりのこの人の存在があったからであって。

『ちょっと、いい?』
「...なに」
『ここじゃアレだから』

場所を変えようと指差されて、一瞬迷ったけれど行くことにした。
話の内容は大体わかっている。友達に、あの人がヨリを戻したいと言っていたと聞いていたから。
だったら、隆平がいない今の方がいい。余計な心配は掛けたくない。

後をついて教室の後ろのドアから出る時に、前のドアの方の廊下で立ち尽くす隆平が目に入った。ゴミ箱の中には、紙屑がまだたくさん詰まっている。
何とも言えない表情の隆平に、心配しないで、の意味を込めて精一杯の笑顔を向けた。隆平が小さく頷いたように見えたから、そのまま教室を出た。

来たのは屋上で、俯いたままなかなか話さない彼に、少し冷たいとは思うけれど「早くして」と投げ掛けた。

『...やっぱり、好きで。ずっと忘れられなくて...』

やけに冷静にそれを聞いていた。頭に浮かんでいたのは、さっきの隆平の心配そうな顔で。
今は揺らぐ気持ちなんて一切ない私は、すぐに口を開く。

「...私、」
『...#name1#はっ...!』

屋上の扉からいきなり飛び出して来た隆平に驚いた。隆平は私のことなんて一切見ずに、元彼の前に険しい顔で立った。それをただ呆気に取られて見つめていた。

『#name1#は!今は、俺の彼女やねん...。見えへん言われることもあるけど、...ちゃんと彼女やねん。...せやから、...無理。#name1#は渡さへんよ』

私がこの人と別れる前に見た光景を思い出していた。友達だと思っていた隆平がこの人に詰め寄っていたあの光景が、鮮明に頭に浮かんだ。

“ なんで#name1#傷付けんねん!”
“ そんなんするなら#name1#解放してや!”

私が彼と別れたと隆平に告げると、隆平は私よりも遥かに悲しい顔をしていた。

“ ...俺、余計なこと、
  してもうたかもしれん...、”

それ以上は何も言わなかった。
隆平は、私が見ていたことを知らない。私も何も言わなかった。当時は、隆平の気持ちに応えられないと思っていたから。


「ごめんなさい」

深々と頭を下げた。顔を上げると、隆平が少し安心したように私を見ていた。
わかった、とだけ言って私達に背を向けた元彼を見送る隆平の横顔をじっと見つめる。

『...ごめん、...余計なこと、』

私を見ないまま隆平が言った。
あの時と同じセリフに、何となく笑った。

「私、もしかして信用されてない?」
『...ちゃうよ、...そうやないけど、』
「...そうだね。信用されてないんじゃなくて、大事にされてるんだね。...ずっと」
『...ずっと?』

首を傾げた隆平の腕を掴んで屋上を出た。扉の前には、まだゴミが詰まったままのゴミ箱。それを見て隆平が言い訳のように少し早口で言った。

『...あいつとすれ違って、...嫌な予感してもうて、』

苦笑いする隆平は、いつになく自信なさげな表情をしていた。もしかしたら隆平も、あの日のことを思い出していたのかもしれない。

『あ、でもな!ほんまに信用してへんとかやなくて、ただ』
「...隆平ってさ、私のこと、ほんとに大好きなんだね、」

目を丸くして私を見つめた隆平の顔が、徐々に赤く染まっていく。それを見て私まで恥ずかしくなって目を逸らすと、隆平が笑いながら小さく呟いた。

『...えぇぇ、...何?急に...』
「...あの時から、...ずっと大好きじゃん、...私のこと、」

一瞬驚いた顔をした隆平は、きっと“あの時”がいつかを理解したに違いない。言葉を失ったまま私から視線を逸らして目を泳がせた隆平が、しばらく間を空けてから小さく呟いた。

『...ん、どうしよ、...ほんっまに、好きやねんなぁ、』

恥ずかしいけど、普段なら絶対言わないけど、今言っておきたい。隆平が負い目なんか感じなくなるように。

「......私も、だいすきだけどね、」

隆平が勢い良く私を見たのがわかった。普段素直じゃない私がいきなりそんなことを言ったんだから、驚かないはずがない。

階段の下を見つめた私の顔の前に、突然隆平の顔が覗き込むように現れてびくっとした。いつもより優しくて無邪気な笑顔を浮かべた隆平の唇が、掬い上げるように私の唇に触れる。キスをしながら制服をまさぐられて思わず離れると、隆平の指には私のポケットにあったはずのリップが挟まれていた。

『没収!学校で男誘惑したらあかんから!』
「...なにそれ、」
『...俺のやもん、...誰にも渡したないねん、』
「...............、」
『せやから、俺の前だけにしてや、...な?』

柔らかく言い聞かせるように私を見つめた隆平に、それならキスしたい時はどうしたらいいの、なんて言ったらどんな反応をするだろう。嘘。そんなこと、聞けない。
考えただけで頬が熱くなって目を逸らすと、頭に手を添えられてもう一度キスをした。


End.

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