悪役は一人で充分
寝室に入った安田くんの後について部屋に入ると、振り返った彼が私に微笑む。手を取られてベッドに入ると、彼の香りがより濃くなってますます緊張してしまう。
ベッドに片肘を付いた安田くんが、仰向けの私を見下ろした。私を見つめて頬を掌で覆われると、柔らかく唇が触れた。一度離れて再び啄むように唇が合わせられた時、唇が震えてしまったから自分でも驚いた。
顔を上げた安田くんが黙って私を見るから、その視線から逃れるように目を逸らす。あまりに不自然に逸らしてしまったことに更に動揺した。
すると、顔は見ていないけれど、彼がふっと息を零して笑ったように感じた。
『おやすみ』
部屋の照明を落として高めのトーンで言った彼に、おやすみを返すことが出来なかった。目を逸らす前に見た複雑な気持ちが現れたような彼の表情が、目の奥に焼き付いてしまったから。
「...安田くん」
『...あは、なんか嫌やな、それ』
思わず口を噤むと、仰向けだった体を私の方に向け、薄明かりの中彼が笑みを浮かべる。
『章大』
「............、」
『二人の時は、章大にしてよ。#name1#』
「...うん、」
狡い。私ばかりドキドキさせられているみたい。どうしよう。本当に彼から抜け出せなくなってしまう。
『...んで、何?』
「......今日、ありがとね」
本当は、そんな事が言いたかったわけではないのに。
私をじっと見つめた後、彼が首を横に振った。
『...まだやん。まだ、明日もある』
「...ん」
『考えんといてよ。今はまだ、...俺と居るやろ?』
伸ばされた手に抱き寄せられ、彼の肩口に顔を埋めた。少し早い彼の鼓動を感じていると、唇が私の首筋に触れたからドキリとして戸惑う。
...本当に、いいのだろうか。このまま彼と居て後悔しないだろうか。一時の感情に任せて縋り付いたら、戻れない。
私を覗き込んだ彼が困ったように眉を下げて笑い、頭をポンと撫でた。私の気持ちを理解しているかのようなその表情を見て、離れて行く腕を思わず捕まえる。
『...どしたん』
「..............、」
怖い。でもやっぱり彼を失いたくはない。この包み込むような大きな愛を知ってしまったから、なくなってしまえば、私はきっとダメになってしまう。
訴えるように見つめると、戸惑いの色を含む瞳が私を見ていた。
『...怖いんやろ?』
目を逸らして小さく首を横に振ると、掴んでいた彼の腕が拳を握り締めたように力が入る。
『...ええの?』
もう覚悟は決めたはずなのに、頷くことが出来ない。目の奥が熱くなって、耐えるように唇をただ噛んだ。
すると掴んでいた手を逆に掴まれ、抱き寄せながら彼が私の体を跨いで上から見下ろした。
ぶつかるように仕掛けられたキスは荒々しく唇を弄って、噛み付くように繰り返される。腰を這った掌がTシャツの裾から入って肌に触れ、性急に服を捲り上げた。胸元を這う舌や唇と同じように、体を這う指も、いつもの彼から想像も出来ない程荒々しい。
けれど、それでよかった。躊躇いを見せられたら、私の方が戸惑い躊躇してしまうから。
鎖骨から唇が離れて、彼が私を見た。私を映す瞳は鋭いのに、時折目の奥に私を気に掛けるような優しい色を宿す気がして胸が苦しい。胸を包んだ彼の手に早過ぎる鼓動が伝わっていないだろうか。
自分でも驚く程に気持ちが昂っていた。彼の指が触れるだけで息が上がり、体の中から蕩けるように溢れてくるのがわかる。荒々しい愛撫でも苦痛なんて感じない。彼が私を見つめるだけで、彼が触れているだけで快感なのだ。
私の中にある彼の指が奥まで沈められ、掻き回しながら唇が塞がれる。喉の奥の声が鼻から抜けるように漏れると、彼の指がぐるりと一度中を掻き混ぜて出て行った。
腰を掴み引き寄せられ、彼の昂りに内腿を押し上げられてひくりと腰が揺れた。
たった今まで、何も考えられない程に快感に浸っていたのに、意識してしまったら不安が過ぎった。早かった心臓はバクバクと皮膚を突き破りそうな程にノックしていて呼吸が震える。
艶のある鋭い目が私を見つめた。私の不安を感じ取っているのか、さっきよりも険しい表情で私を真っ直ぐに見て、そして入口に充てがった。シーツを掴んでいた手を取られ指を絡めると、ピタリと動きを止めた彼が私の左手に目を向ける。すぐに逃げるように逸れた目は、きっと私の薬指の指輪を見ていた。絡めた指を解いて私の両手首を掴むと、もう一度私を見つめてからぐっと腰を進める。ゆっくりと沈められていく刺激に息を詰めるけれど、掴んだ手を引き寄せ途中から一気に奥まで押し込んだ。
私が小さく声を漏らすと、詰めていた息を吐き出して緩く律動を始め、私を見下ろして奥歯を噛み締めた。
繋がってしまえば、もうどうでもよかった。確かに幸せで、体は痺れるように快感に包まれ、彼が私で感じてくれる喜びは言い表し様もない。
ただ、一つ気になっていたのは、ずっと険しい彼の表情だった。
その顔を見つめると、荒い呼吸を繰り返しながら彼も私を見つめる。
すると掴まれていた手首から離れた手が腰をきつく掴み、突然激しく律動されて息を詰めた。声も出せない程に揺さぶられ、彼の熱く荒い呼吸が私の肌にますます熱を持たせる。
『...っ今お前、犯されてんねんで、っ』
唇を噛み締めながら、腰を掴む彼の手を上からきつく掴み、言葉の意味を探るように視線を向ける。鋭い視線は射抜くように私を見つめて、突然律動を止めた。体を私の上に倒した彼が私の頭を包むように髪に指を差し込み引き攣れる程くしゃりと掴む。
『...俺が、無理矢理犯してんねん』
...何言ってるの。なんでそんなこと。
彼をじっと見つめれば、次第に彼の言葉の意味が何となく見えてくる気がして、じわりと涙が滲む。噛み付くように唇を塞がれると、激しい律動が再開された。
彼の硬い表情の理由を理解したら一気に涙が込み上げた。私をわざと酷く抱いて、迷う私のために“悪役”になろうとしてくれた彼の強く優しい想いは、心を掴んで離さない。
縋り付くように抱き締めた背中は驚く程に熱くて、その熱に溶かされてしまいそうで、溶かされてしまいたくて、溢れた涙を隠すように彼を引き寄せた。
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